色あせたオレンジの夢
政治も経済も壊滅状態、04年のオレンジ革命の高揚感はどこへ消えた
04年11月の冷たい雨の夜、ビクトル・ユーシェンコは、ウクライナの首都キエフの独立広場で、オレンジ色のリボンやスカーフを身につけた群衆の前に立っていた。
「団結と寛容、相互理解によって大きな成果を達成できることは、ヨーロッパの経験によって明らかだ」とユーシェンコは言い、50万人の支持者に対し、理想に満ちた新時代のウクライナを築くことを約束した。ロシアでなくEU(欧州連合)との関係を強化し、西欧流の報道の自由と自由な選挙、透明性のある市場を実現する――。
4年半後の今、この約束は色あせて見える。オレンジ色のピープルパワーのうねりが親ロシア派の強権的で腐敗した支配体制を突き崩し、親欧米派の野党指導者ユーシェンコを大統領の座に就け、ウクライナに民主主義を花開かせたことは事実だ。しかしこのオレンジ革命がもたらしたものは、安定と繁栄ではなく、混乱と低迷だけだったのかもしれない。
04年の大統領選後のウクライナでは、不安定な連立政権が誕生と崩壊を繰り返し、オレンジ革命を共に主導した盟友のユーシェンコ大統領とユリア・ティモシェンコ首相のいがみ合いが続いてきた。現在ユーシェンコの支持率はたったの2・7%。世界で最も不人気な指導者と言っていいだろう。
ウクライナの指導者たちは西欧への仲間入りを熱望しているが、西欧諸国の信用はもはやない。一方、東の強大な隣人ロシアはウクライナを再び影響下におく機会をうかがっている。
利権に汚れた革命の英雄
オレンジ革命が約束した市場経済は、この国を瀕死の状態に追い込んだ。00年以降、平均で年7%の経済成長を遂げてきたまではよかったが、米格付会社スタンダード&プアーズ(S&P)によれば09年には経済の規模が最大20%縮小する見通し。この国の脆弱な金融システムが崩壊し、経済の再生がますますむずかしくなりかねないと恐れるアナリストもいる。
この事態がすべて政府の責任というわけではない。世界的な景気悪化により、世界市場で金属の需要が半減し、相場も半分に下落した。経済の40%以上をアルミと鉄鋼の輸出に頼っているウクライナはその直撃を受けた格好だ。
しかし政治家のせいで状況がひときわ悪化したことはまちがいない。政治が大衆迎合と利権追求に乗っ取られるという「最悪のタイプの民主主義」がウクライナに根づいてしまったと、英コンサルティング会社オックスフォード・ビジネスグループのアナリスト、ポーリウス・クチナスは言う。
確かに、有力政治家は一人残らず財閥と親密な関係にあり、国の直面する課題を解決するよりお互いの腐敗ぶりを非難し合うことに終始しているように見えることも多い。「戦術ばかりで戦略がない」と、クチナスは言う。「みんな目先の損得しか考えていない」
世論調査をみるかぎり、ユーシェンコに対する有権者の目は厳しい。大統領がオレンジ革命の理想を忘れて、国の舵取りより財界の仲間たちの利権を守ることに血道を上げていると考える人は多い。
民主化運動の盟友の多くも離れていった。オレンジ革命の翌年の05年には早くもティモシェンコと仲たがいした。「私たちが語り合った夢は何一つとして実現していない」と、ユーシェンコの古い友人のセルゲイ・テレヒン元経済相は言う。
政府の失政の象徴がエネルギー政策だ。ウクライナのエネルギー需要の70%をまかなうのは輸入天然ガス。国営ガス会社のナフトガスがロシアのエネルギー大手ガスプロムから天然ガスを輸入し、市場価格より安いガス料金で国内に供給している。その差額は国が埋めているが、巨額の負担が国家財政を圧迫している。
財政を立て直すためには、これをやめにして、ガス利用者(有力財閥傘下の企業も含まれる)に国際相場に釣り合うガス料金を支払わせればいい。しかし、ユーシェンコもティモシェンコもそのような有権者受けの悪い改革に踏み切ることを拒んでいる。