難病「結節性硬化症」に苦しむ女性を救ったピアノ...万雷の拍手を呼ぶまでの物語
“I Have a Rare Disease”
数々のコンクールで優勝し、カーネギーホールでも2回演奏したファン COURTESY OF EMILY PHAN
<発達の遅れで歩くことも話すこともままならなかったが、練習を重ねてハンディを克服しプロの道に踏み出した>
両親の話では、私が初めててんかんの大発作を起こしたのは生後6カ月のとき。その後、突然頭をカクンと垂らすなど奇妙な動きをする「点頭てんかん」(IS)の発作を繰り返すようになった。
両親は私を病院に連れて行ったが、MRI検査の結果は異常なし。だが医師の1人が発作の原因に気付いて両親に電話で知らせてくれた。病名は結節性硬化症(TSC)。体のあちこちに腫瘍ができ、さまざまな不具合が出る希少な遺伝性疾患だ。
幸運にも大学病院の臨床試験に参加できたおかげで、てんかんの発作は完治した。でもTSCによる発達の遅れでお座りもハイハイもできず、言葉もなかなか話せなかった。
言語、作業、理学療法を受けたが、大した改善はなし。そこで母が言いだした。ピアノを習わせたらどうかしら。
母が雇った5人の先生に一対一でピアノを習い始めたのは4歳のときだ。教え方も着眼点も違う先生方に教われば最大限の効果があるはず。母はそう期待した。
確かにピアノの練習では全身の筋肉を使うので、少しずつだが運動能力は向上した。とはいえ、5歳でようやく2歳児並みの発達レベル。手足の力が弱いため、カーディガンのボタンも自分ではめられず、恥ずかしい思いをした。
高校時代には全米大会にも出場
それでも7歳までには立った姿勢でシリアルの入ったボウルを2秒ほど支えられるようになった。すぐに落としてしまったけれど、その瞬間はとても誇らしかった。
10歳頃にはコンクールに出場するほどピアノも上達した。地域の小さなコンクールから始めて、高校生になると全米大会に出るようになった。
2016年、20歳のときにカリフォルニア州マリブにあるペッパーダイン大学に入学した。教授陣は私の中に眠っている可能性に気付いて引き出してくれた。私は好きなことには並外れた集中力を発揮するタイプで、大学に入学した翌年から1日10~14時間、ピアノの練習するようになった。この時期には発達の遅れも急速に取り戻し、23歳になる頃には同年代の人たちと変わらないレベルになった。