薬物依存の息子の死を覚悟した母親が語る、依存症克服の戦いと家族の再生
My Son Almost Died

薬物依存との闘いには人々の強い絆が重要だとノシェは気付いた SHAWN NOCHER
<回復を目指す彼の旅を公の場で語り始め、同じ境遇の親を支援するNPOを立ち上げるまで>
激しい雨が窓をたたいていた。9年前のある夜、もう午前3時だというのに私は眠れずにいた。
このまま薬物依存を克服しなければ、息子は死に至る。そのことに不意に気付いたからだ。自分が向き合っているものの深刻さを、はっきり悟ったのを覚えている。
以前は賢くて美しくて、まばゆいばかりだった私の息子は、そのとき4800キロ離れた地にいた。息子にとっては、薬物でハイになりたいという欲求が、愛する家族の存在を上回っていた。仕事も友人も失って、家族まで遠ざけつつあった。
あの夜の私は、一度は呼吸を落ち着けて、息子が死ぬという絶望を受け入れようとした。でも結局は、希望にしがみつくことしかできなかった。
愛する者が依存症を克服しようとする過程を目撃するのは、悪魔払いの儀式を見るようなものだと思う。悪魔を振り払う苦行に耐えれば、肉体の奥深くに眠っている本当の息子が姿を現すと思いたかった。
しかし、簡単なことではなかった。私たち家族が手を差し伸べようとしても、息子は沈黙し、その手を握り返せずにいた。
息子に手いっぱいで家族は崩壊寸前
息子の薬物依存体験で特に思い出すのは、自分が孤独だったということだ。私たち家族はバラバラだった。
私と夫の結婚生活は崩壊寸前だった。家族全体が息子のことで手いっぱいの中で、娘は迷惑を掛けまいと小さくなっていた。互いを非難する言葉が飛び交っていた。
息子は回復プログラムに頼らず、自力で依存から脱しようと何度も試みた。しかし最終的には、敗北感と恐怖から30日間のプログラムに参加を決意。家族や仲間たちの愛を支えにして、回復を目指す長い旅が2014年2月から始まった。
以来7年、息子は順調に回復を続けており、私たち家族も平穏になった。私にとって、息子は奇跡が実在する証しだ。
息子が回復し始めてすぐ、私は自分の体験を公の場で話すようになった。すると、似たような境遇にある親から相談の電話が次々に舞い込んだ。どの相談も私自身の体験を思い起こさせた。
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