グレタさんとも意気投合したはず 森林保護に命をかけた環境活動家の映画が受賞
映画のなかでシェルカー氏は、マンサー氏になりきっている。大きい成果が出せないまま月日が経ち、プナン族のもとで暮らしたいが帰る決心がつかないでジレンマに陥っている様子も、よくわかる。マンサー氏とともにブルーノ・マンサー基金を設立したロジャー・グラフ氏は「映画のブルーノ(マンサー氏)は、驚くほど本物そっくりだ。スヴェン(シェルカー氏)の演技もセンセーショナルだ。非常に感銘を受けた」と、あるインタビューで話している。
マンサー氏はようやく10年ぶり、2000年にプナン族を訪れ、感動的な再会を果たした。映画は、ここで終了する。
氏は、このあと消息を絶った。ジャングルを熟知していたから、迷ったはずはないといわれている。当時もまだ、氏はマレーシアにとっては疎ましい存在で暗殺されたのかもしれないが、人権・環境活動が思うように進まず、また、プナン族の若者が土地権への興味を失ってきていたことで悲観的になり、自害したとも考えられている。氏の家族や友人・知人によると、スイスを発ったとき、氏は普段と様子が違っていたらしい。
脚色はあるが、考えさせられる映画
映画はたいへん好評だが、脚色が施されている点で批判もある。スイス人の写真家トーマス・ヴュートリヒ氏は、2014年からプナン族を幾度も訪れて親交を深め、映画にもかかわった(本稿の写真は氏が撮影)。ヴュートリヒ氏は、次のように相違点を指摘している。
単純で未発達?
映画では、あまり肌を覆わずに過ごす、漁業にやすを使うといったように、プナン族を未発達な民族として見せている。本当は80年代に洋服を着ていた人もいたし、魚釣りは網を使っていた。プナン族たちは出演者として監督の指示通り演じたが、それらの違いに気分を害していた。
恋物語?
マンサー氏はプナン族の女性と恋に落ち、スイスに戻る際、必ず女性の元に帰ってくると約束し、島に帰ると女性は別の男性と結婚していた。だが実際には、このラブストーリーはなかった。
指導者?
マンサー氏がバリケードの前に立って伐採業者らと話し合っていることも正しくない。氏は、権利の主張をというアドバイスはしたが、プナン族のリーダーではなかった。バリケードで抵抗したのは、プナン族たちが決行したことだし、氏の身の危険を考えて、氏をバリケード前には絶対に立たせなかった。
またヴュートリヒ氏はふれていないが、マンサー氏は、10年間まったくプナン族に会わなかったわけではない。危険を冒して、プナン族の様子を見に行ったり、マレーシアで過激なパフォーマンスをしたときにはプナン族の助けを得た。
「ブルーノ・マンサーとプナン族がゆがんで表現されることを、ブルーノ・マンサー基金がなぜ許可したのか私には理解できません。この映画は、先住民のために立ち上がるふりをしているだけです」(ヴュートリヒ氏)
確かに、映画を見た人たちにマンサー氏の軌跡を正しく理解してもらうには、脚色は必要なかった。ただ、個人的な意見だが、たとえば2007年のドキュメンタリー映画「Bruno Manser LAKI PENAN」よりも、本作(推奨年齢12歳以上)のほうが、印象に残りやすいと感じる。また、とくに若い人たちにはわかりやすく、熱帯雨林破壊の問題にも関心を高めてもらえるのではないか。この映画をきっかけに、ほかの資料をあたってほしい。
なお、熱帯雨林の開発は、プナン族の女性への暴力(強かん)という問題も生み出した。
*本映画DVDは、ドイツ語とフランス語で販売されている。
[執筆者]
岩澤里美
スイス在住ジャーナリスト。上智大学で修士号取得(教育学)後、教育・心理系雑誌の編集に携わる。イギリスの大学院博士課程留学を経て2001年よりチューリヒ(ドイツ語圏)へ。共同通信の通信員として従事したのち、フリーランスで執筆を開始。スイスを中心にヨーロッパ各地での取材も続けている。得意分野は社会現象、ユニークな新ビジネス、文化で、執筆多数。数々のニュース系サイトほか、JAL国際線ファーストクラス機内誌『AGORA』、季刊『環境ビジネス』など雑誌にも寄稿。東京都認定のNPO 法人「在外ジャーナリスト協会(Global Press)」理事として、世界に住む日本人フリーランスジャーナリスト・ライターを支援している。www.satomi-iwasawa.com
2020年4月7日号(3月31日発売)は「コロナ危機後の世界経済」特集。パンデミックで激変する世界経済/識者7人が予想するパンデミック後の世界/「医療崩壊」欧州の教訓など。新型コロナウイルス関連記事を多数掲載。