他人から非難された...そんな時「釈迦牟尼の出した答え」他者の評価ばかり気になる人に伝えたい仏の教え
結局、釈迦牟尼の出した答えは「気にするな」でした。他者からの意見や批判は真摯に受け止めるべきですが、あなたの価値を決めるのはあなた自身なので、強く生きなさいということです。
何かをしても、しなくても、一定の確率で誰かから文句を言われるんだ、くらいに思っていればいいのです。
ただし、そのためには賢くなくてはいけません。だから仏教哲学を学ぶのですね。「俺イケてるし」と無知蒙昧むちもうまいな状態でいることとは違います。
言ってみれば、称賛も非難の裏返しです。称賛されたときは素直に喜べばいいでしょう。けれどその喜びのあまり、自己認識の軸足を自分から他者に移し替えてしまうと、自分という存在が足場から崩れ落ちてしまいかねません。
褒められたりけなされたりするのは、そのときどきの状況でしかないのですから。
バズの病に取りつかれそうな人は、これを意識してみてください。
【SNSとうまくつき合うキーワードは「利他」】
ここまでお話ししたように、「他者に承認させたい」という欲求が湧き上がってくるのは人間として自然なことです。それを踏まえたうえで、私たちはどう行動すればいいのでしょうか。
仏教的に考えると、その答えは「利他」です。
利他とは文字通り、他者の利益のことです。抜苦与楽ばっくよらくという言葉があるように、他者の苦しみを除き、喜びを与えるように振る舞えば、それは自分の喜びにもつながります。抜苦与楽の道は、自利と利他が一致している状態です。
なぜ、他者の喜びが自分の喜びになるのか。
これまでお話ししてきたように、自分は他者の存在があってこそ成り立ちますから、「私」の利益と他者の利益は一致します。つまり、他者の利益を考えることが、自己の利益を考えることにもつながるのです。
うわべだけで相手を褒めるような一時的な幸せではなく、根源的な幸せを目指して行動すれば、社会そのものが良くなり、回りまわって自分も受益者になることができます。
これをSNSに当てはめると、発信をする際は、利他的な情報を心がければいいのです。たとえば本書は、ポッドキャスト番組がもとになっています。自分で言うのもなんですが、あの番組は利他的な発信だったと思います。
【人間の心はすごく敏感に繊細に、発信の裏側にあるものを感じ取る】
まず私自身、番組でお話しするのが楽しい。そしてリスナーの中には、その内容を役に立ててくれる人もいるでしょう。中には文句を言う人も出るかもしれません。
それは私にとって取らなくてもよかったリスクですが、「聴いてよかった」と思う人が一人でもいれば、私はじゅうぶん満足です。
その満足の基準は再生回数が伸びるかどうかではないため、それに心をかき乱されることもありません(企画者にとってはビジネスですから、そうも言っていられないでしょうが)。