少女は熊に9年間拉致され、人間性を失った...... 「人さらい熊」の目的とは?
警察と医師が検視をしたところ、死因は餓死で、死後5日と判定された。たった6歳の子どもが山中を4キロもどうやって移動したのか、村人には見当が付かなかったという。
清治は直径3尺もの大きな倒木の側で発見された。下肢には草で擦った傷があり、死に顔は安らかだった。
しかも、着物や帯を枕元に置いてあり、山葡萄を三百匁(もんめ)もそなえ、ふきの葉を敷いてあった。
その様子から、当時の人々は、「老狐のために78日も養われたらしい形跡がないでもない」などと噂しあったという。(「北海タイムス」大正14年8月28日「奇蹟的な幼児の死 深山中で死体発見」より要約)
もしかすると、この事件では、ヒグマが男児をさらい育てようとしたが、うまくいかなかったのではないだろうか。
というのも、ギリシャでも次の事件が報告されているのだ。
少女は熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた
昭和3年、オリンポス山で名高いウルダー山中で、生後間もない乳児が行方不明になった。大捜索を行ったが、子どもの行方は分からず、熊の餌食になったのだろうとあきらめていた。
9年後、猟師の一隊がとある森で一頭の大きな牝熊を発見し、射殺した。すると、熊の死体の陰から、真っ裸の少女が現れ、歯をむき出して猟師達に飛びかかった。
猟師たちはその子供をなんとか「生け捕り」にして村へ連れ帰ったが、この子供こそ9年前にウルダー山中で消息を絶った乳児だった。
この少女は9年もの間熊に育てられ、人間性をすっかり失っていた。子熊のように唸り声を発し、人間が近づくと爪を立て、歯をむいて飛びかかったという。
彼女はのちにイスタンブールの精神病院に収容され、熊から人間に生まれ変わる日を静かに待っている。(「北海タイムス」昭和12年7月29日「9年間熊と育つ 女ターザン出現 乳呑児時代にさらわれる」を要約)
まさに「カマラとアマラ」を彷彿とさせる事件である。
「カマラとアマラ」は、インド東部ベンガル地方ミドナプールの孤児院に引き取られた姉妹で、「狼に育てられた野生児」として知られている。一説には2人は精神疾患だったともされている。
動物が人間の子供を育てることは、母乳の成分が違ったり、行動学的に無理があるなど、生物学的な理由で不可能というのが定説である。
しかしこれらの事件を見る限り、ヒグマが人間の子供を慈しみ、育てようと試みることは、あるのかもしれない。
中山茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家・人力社代表
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。