スウェーデンで「男らしさ」めぐり議論噴出...父親たちが本音を語り合うテレビ番組『3人のパパ』に賛否両論
Sweden’s “Masculinity Crisis”
それでも今は、少なからぬスウェーデン人が「男らしさの危機」を感じ始めている。
例えば、反フェミニズムの急先鋒であるジョーダン・ピーターソン(カナダ人)の著書はスウェーデンでも10万部以上を売り上げるベストセラーとなった。昨年9月の総選挙では若い男性の票を集めた保守連合が勝利し、新政権は直ちに「フェミニスト外交」を捨て去っている。
ここから見えてくるのは、男女同権の社会に対する男性たちの抑圧された怒りだ。例のクナウスゴールの『わが闘争』には、「私はストックホルムのモダンでフェミニズムに染まった街を歩きつつ、19世紀人の内なる怒りを覚えていた」という記述もある。スウェーデンの若き父親たちにも、伝統的なジェンダー規範を懐かしく思う気持ちがあるのかもしれない。
『3人のパパ』放映後のテレビ討論にも、同じような思いを抱く多くの男性が参加していた。ある右翼的な有識者は「よい男」の条件を定義するよう求められて言葉に詰まり、最終的には「なにごとにも限度というものがある」と答えた。そして意味不明だと突っ込まれると、「移民の数とかと同じだ」と言い捨てた。
議論を巻き起こした意義
この討論には、番組に登場した3人の父親も参加していた。その中で「よい男」に必要な資質は2つだと明言したのはオスカーションだ。1つは「そこにいる」こと(つまり家にいて、ちゃんと子育ての責任を果たすこと)。そして2つ目は、スウェーデン語で言う「リホード」。普通は「対応が早い」などと訳される単語だが、相手の気持ちやニーズを直感的に理解し、気遣う態度を指す。
だが番組を見れば分かるように、オスカーション自身もこの2つをきちんと実践できているわけではない。最終的には妻に愛想を尽かされてしまったのも、彼が週末になると隠れ家に籠もって癒やしの「カカオの儀式」にふけり、「そこにいる」という大切な役目を果たせなかったせいではないか。
スウェーデンで『3人のパパ』に最も寛容な反応を示したのは、文化評論家のナナ・ハルベリだ。彼女はスウェーデンの新聞エクスプレッセンへの寄稿で、確かに彼らの悪ふざけには耐え難い点もあると認めた上でこう書いている。
「でも彼らは、いい親になるために最善を尽くしている。今の時代に父親であるということは何を意味するのか。それを自分たちで定義しなければならない文化的空白の中で、いい父親になるという夢をひたすら追いかけている」