この時期急増「カブトムシのお葬式」 昆虫葬から見える日本人の死生観とは
費用0円...命の尊さを子供に知ってもらう社会貢献活動
また、深大寺動物霊園(東京都調布市)では毎週水曜日と日曜日に、予約制で昆虫葬を受け付けている。対象は高校生までの子供のみだ。
深大寺動物霊園では桐の棺に虫の遺骸を入れて、葬儀をした上で、翌日に火葬している。同霊園では「昆虫葬は『命の尊さ』をお子様に知っていただくための社会貢献活動として位置付けているので、費用は頂きません(お気持ちは賽銭箱にお納めください)」(ホームページより)としている。深大寺動物霊園は開園が1963(昭和37)年の、ペット葬業界ではパイオニア的存在だ。
そもそも、昆虫葬の歴史は古い。それが、虫塚と呼ばれる供養塔として各地に残っている。虫塚の源流を辿れば、9世紀の『古語拾遺』の記述がある。『古語拾遺』には害虫によって稲に被害が及んだので、男茎型のものを立てて害虫駆除したことが記されている。
現存する虫塚で最古のものは、東京都八王子市の臨済宗南禅寺派の廣園寺境内にあるものだ。廣園寺は1390(康応2)年に開山した古刹(こさつ)である。虫塚は創建当時に立てられたと伝えられている。
虫塚は金属製の柵で保護されており、高さ90cmほど。下部3分の1ほどが太くなったつくりで、まるでロケットのような形状をしている。
14世紀末のこと。田畑の収穫時期になると大量の虫がつき、生育の妨げになっていたという。村人たちはそれを憂い、なんとか被害を抑えたいと廣園寺住職に祈禱(きとう)を頼んだ。
住職が、「それは難儀。悪い虫を退治しよう」と祈禱を始めると害虫は、ことごとく死に絶えたという。しかし、害虫とて生きとし生ける存在。村人は後生を弔うために死骸を集めて廣園寺境内に埋葬した。そして、再び虫による被害がでないようにと石塚をつくって祈願したのだ。
また、ハチミツをつくるミツバチの虫塚(ミツバチへの感謝の碑)は各地にある。埼玉県深谷市の埼玉県農林公園にある「蜜蜂をたたえる碑」などに見ることができる。
この感謝碑は埼玉県養蜂協会によって同会の創立50周年を記念して立てられたものだ。石碑には、「蜜蜂は生命を育む」という題字とともに、こう書かれている。
蜂蜜は人類の歴史とともに歩んできました 山野の花木 草原の花 園芸農作物等の花 これらの花粉交配と共に 花蜜を集め蜂蜜を造り人類の繁栄に多大なる功績をしてきております 蜜蜂のもつ勤勉・団結・貯蓄の精神こそ私達の鑑とするところであります
建築家の隈研吾氏が設計した「洗練された虫塚」
ミツバチ塚は福島県会津若松市や千葉県館山市、神奈川県厚木市、岐阜市、和歌山県海南市などでも見られる。
近年のユニークな虫塚の例としては、解剖学者の養老孟司氏が2015年に鎌倉の建長寺に建立した虫塚がある。これは日本一、洗練された虫塚かもしれない。設計は、建築家の隈研吾氏である。
虫塚はゾウムシの頭部を模った石像を中心に置き、周囲を金属製の虫かごが取り巻くモダンな意匠。金属部分には粘土が吹き付けられていて時の経過とともに苔が生していくという演出が込められている。
養老氏は虫塚建立記念法要の挨拶文でこのように述べている。
長年虫を標本にしてきましたので、その供養が第一です。解剖学教室に奉職している間も、毎年解剖体慰霊祭に参加してきましたので、慰霊の癖がついたのかもしれません。虫に霊や心があるかというご意見もあるかと思いますが、睡眠に関する遺伝子が見つかっているので、意識はあるのではないかと思います。
翻って、人間の弔いは簡素になるばかり。弔いの「原点」を、いつまでも大事にしたいものだ。
鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。