相手を変えるにはまず自らを変えよ ── そんな助言を禅僧がキッパリ否定するのはなぜか
関係がいわゆるパワハラのレベルにまで悪化しているなら話は別です。対処の方法も個人のテクニックだけでなんとかできるものではありません。しかし、問題が「好き嫌い」にとどまる内は、それなりの動かしようがあるものです。
問題は自分の中ではなく、人との「間」にある
「あきらめる」は、漢字では「諦」と書きます。
「諦」は、「悟る」ことと同じ意味です。ふだん使う「断念する」意味でなく、「つまびらかに見る」「明らかに見る」、仏の智慧を表します。
明らかに見るときに一番大事なのは、「苦しい」「つらい」という感情を抜きにして、事態を正確に判断できるか。そして、問題は自分の中ではなく、人との「間(ま)」にあると気づけるかです。人が直面する問題のほとんどが、人との「間」に存在します。「私の問題」とは、他人と一緒に織った織物のようなものなのです。
その証拠に、この世に自分ひとりだったとしたら悩むことはないでしょう。
他人がいて、自分がいる。その間にはストーリーが生まれ、人は喜怒哀楽を感じます。そしてそこに執着し、いつまでも反芻(はんすう)し続けます。
しかし、そのストーリーとは、自分自身の「記憶」にすぎません。
自分のつくった物語だけを見て苦しい感情にどっぷりつかる前に、問題を解決するには、他人との関係を組み替えることだと見極める必要があります。
「関係を組み替える」と言うとき、試してみる価値があるのは、人間関係の根底にある力関係と利害関係をよく見て、そのバランスを変えてみることです。
やり方のひとつは、「少し相手に譲ってみる」こと(無理して大きく譲るのは逆効果です。バランスが「崩れて」しまうから)。
もうひとつは、新たに第三者を引き込んでみること(あらかじめ十分に問題を理解してもらわなければいけません)。これらの工夫が引き起こす変化を効果的に取り込んで、問題の解決に活かしてみてはどうでしょう。
この種の見極めができるかどうか。これが、今自分が問題だと思っている状況から抜け出すための大前提です。
南 直哉(みなみ・じきさい)
禅僧
1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。著書に『恐山 死者のいる場所』、『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(いずれも新潮社)、『善の根拠』『仏教入門』(講談社)、『死ぬ練習』(宝島社)など多数。