相手を変えるにはまず自らを変えよ ── そんな助言を禅僧がキッパリ否定するのはなぜか
「がんばれば、いつか努力が報われる」
「自分が変わりさえすれば、事態は好転する」
真面目で一生懸命な人ほど、そう思いつめる傾向があるようです。
しかしいくら努力しても、人間関係は報われないことのほうが多い。そう思っておいたほうがいいでしょう。
特に、家族の問題は、思いやりや愛で強引にカタをつけようとすると、袋小路に入ってしまいます。なかでも、その傾向が顕著に表れるのが介護の問題です。
介護では、家族の中で一番力の弱い人にしわ寄せがいきます。最近、問題になっているヤングケアラーは、まさにその典型でしょう。
自分の中で解決策を探しても見つかるわけがない
こじれた人間関係が、自分ひとりの努力や愛情でどうにかなると考えるところから、まず一歩離れてみる。家族であろうが、恋愛相手や友人であろうが、年齢も性別も職業も「情」も関係なく、その人を冷静に見る。そういった訓練をしないと、状況を正しく判断できません。
そこから、その人間関係を自分の力でどうにかできるのか、できないのか。
枠組みを変える余地があるのか。それとも、関係を切るのかどうか。
冷静に考えていくのです。
このとき大事な視点が、家族から国家まで、どんな集団であっても、人間関係の基本は「政治」だと考えることです。つまり、すべての人間関係の底には「利害関係」と「力関係」が働いていると見とおすのです。
そこをきちんと見なければ、正しい状況把握はできません。
「いや、家族は愛情という絆で結ばれているだろう」と反論する人もいます。
しかし家族間であっても、利害関係と力がからんだ政治であることに変わりはありません。
人間関係を考えるとき、多くの人は「自分」の枠の中だけで考えます。そして「記憶」と格闘しています。もし、その記憶で他者との関係が正確に捉えられていれば、問題を考える材料にはなるでしょう。
でも、そこに自分の感情や自分の視点しかなく、「なぜ自分はうまくいかないんだろう」と自問自答しているだけなら、意味はありません。
閉じてしまった自分の中で、他者との関係を無視しながら解決策を探しても、見つかるわけがないのです。あるいは、ひとりよがりな解決策しか出てこないでしょう。
事態を正しく認識するためには、記憶との格闘をやめ、感情と距離をとって問題を考える必要があるのです。
悩みは人間関係の中でしか生まれない
私のもとに相談に来られる方には、2つのタイプがあります。
「今の状況がこじれて苦しい人」と「今いるところからどこかへ行きたい人」です。
両者に共通しているのは、「自分の話」がまず出てこないことです。
「子どもが引きこもっていて、どうすればいいかわからないのです」
「上司がワンマンすぎてもう限界です」
「母親と同居していますが、干渉されることが多くて我慢できません」
「愛情が感じられなくなったので離婚したいのに、夫が納得せず、苦しいのです」
もちろんご本人は、「自分の問題」を話していると思っています。しかし、どんなに深刻な問題も、そのほとんどは「自分をめぐる人間関係」についての話です。
親や子ども、配偶者やパートナー、職場の人間と自分がどんな関係にあり、どのような問題が起きていて、いかに苦しいか――。
あるとき、40歳過ぎの独身男性が、相談にやって来ました。
同居する母親が何かにつけ自分の生活に口を出す。あまりにも支配的なので一緒にいるのが苦しい。どうしたらいいだろう。それが彼の悩みでした。