美学者が東工大生に「偶然の価値」を伝える理由──伊藤亜紗の「いわく言い難いもの」を言葉にしていくプロセスとは
いわく言いがたいものを言葉にしていく
──もともと、生物学者を志していたそうですね。なぜ美学に?
伊藤:子どものころ昆虫の世界に魅せられて、虫から見た世界ってどんな感じなんだろうと思っていました。生物学は細分化して見ていく学問なのですが、特にわたしが学生だったころは分子生物学が脚光を浴びていて、DNAを読み解けば生命全体が分かるかのような空気に違和感を抱くようになりました。もっと主観的なもの、分割できないものを、と3年の時、文転して美学の分野に行きました。
美学は、美しさや魅力といった、感覚としては分かるけれども言葉にしにくいもの、つまり「いわく言い難いもの」を言葉にしていく学問です。きっちり情報化できるものとは真逆の領域ともいえます。美学の観点から、人間の身体の違いに関心を持つようになりました。
わたし自身、小さい頃から吃音でうまく話せないこともあって、自分の中で起こっていることが、自分が発している言葉とは全くかみあっていない感じをずっと抱き続けてきました。「そんな簡単に言葉を信じていいのか?」という思いがあったんですね。
対して、言葉に関するためらいが美学にはある感じがしたんです。だから信じられる、と思ったんだと思います。
キッチンペーパーでラグビーのバーチャルリアリティ
伊藤:いま、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院で学生たちに芸術を教えています。
人間は先入観や常識にとらわれて、自分の発想の幅を狭めてしまっている。何かにとらわれてしまうところからどう解放されるか。それがリベラルアーツなんですね。
例えば、最近よく聞くバーチャルリアリティ(VR)。「最先端技術で仮想世界に行く」というイメージがありますが、もともと「実質的な」という意味で「ハイテク」でなくても使われていた言葉です。
わたしも人文系の人間なりに、ハイテクではない「バーチャルリアリティ」を探っています。
10種目の競技の専門家から話を伺いながら、100円ショップなどで売っている道具でそれぞれの競技の独自の感覚を再現しています。
例えば、ラグビーのスクラム。見ているだけでは団子状態の選手が、なにやらゴチャゴチャやっているだけのようにみえます。でも実際にスクラムを組んでいる間は、顔が下を向いて周りが見えなくなるので、視覚ではなくむしろ触覚が大事になってくるそうです。自分の後ろから仲間がグイグイ押し上げてくるのを触覚的に感じつつ、前の敵と協力しなくてはならない、と。そうしないと力が拮抗しなくなって、組みあった状態が保てなくなるそうです。
この協力しあう感覚を、キッチンペーパーのロールで「翻訳」してみました。細長いロールを2個縦につなげ、両端から2人でグッと押しあうのです。確かに、相手がどっちの向きに押そうとしているのか互いに感じあわないと、うまくバランスが取れません。
この「敵なのに協力しなければいけない感じ」を体感しておくと、観戦でもスクラムの中にいる選手の気持ちや感覚がグッと伝わってくるようになります。