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ジブリの魔法はロンドンでも健在、舞台版『千と千尋の神隠し』に絶賛の嵐

Studio Ghibli on Stage

2024年6月12日(水)15時36分
ユアン・パン(英レディング大学講師)
上白石萌音が演じる千尋とカオナシ

千尋(橋本環奈・上白石萌音)や湯婆婆(夏木マリ)などの豪華キャストがアニメの幻想的な世界をステージによみがえらせる PHOTOGRAPHS BY JOHAN PERSSON

<せりふは日本語。2022年の『となりのトトロ』に続き、世界で愛されるジブリ作品が舞台になってロンドンへ>

宮﨑駿と高畑勲(故人)が共同で設立したスタジオジブリ。そのアニメ作品は美しい映像と深いテーマ性で世界中の観客を魅了してきたが、近年は生身の俳優による舞台化にも挑戦している。

手始めは、ロンドンのバービカン劇場で2022年に上演された『となりのトトロ』だった。そして今、同じロンドンのコロシアム劇場で、アカデミー長編アニメ映画賞に輝く名作『千と千尋の神隠し』が上演中。せりふは日本語で、英語の舞台字幕が付く。

『千と千尋の神隠し』の舞台写真

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

『千と千尋』はスピリット(神々)の世界に迷い込んだ少女・千尋の物語だ。豚に変えられてしまった両親を救うべく、千尋は恐ろしい湯婆婆の仕切る温浴施設「油屋」で働きながら、謎めいた少年ハクに導かれて奮闘する。

筆者はジブリの長年のファンだが、まず感動したのは舞台版が原作アニメの筋立てを忠実になぞっていること。

回転舞台と動く扉を巧みに使い、生身の役者とパペット(人形)でアニメの幻想的な世界を完璧に再現している。原作で久石譲が手がけた楽曲も生オーケストラで演奏されるので、一段と心を揺さぶられる。

舞台『千と千尋の神隠し』の釜爺

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

観客は神々(一神教の神とは違い、自然界の万物に宿る精霊たち)の住まう幻想的な世界へと誘われる。衣装も、黒子の操るパペットも素晴らしい。おしら様(巨大な大根の精)もハク(川の精)も、すごく生き生きとしている。

竜の姿に変身したハクは、いくつものパーツを組み合わせた蛇のようなパペットで表現され、遠くへ飛んでいくときは凧(たこ)のような姿になる。

千尋を演じる橋本環奈

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

普段は人間として現れるハクだが、実の姿は竜。東洋の神話で水を支配する生き物で、本作では「川の主」とされる。こうした神話的存在を描くことで、『千と千尋』は日本的なアニミズムの伝統に敬意を表し、自然を敬い共存することの大切さを訴えている。

成長と変化に挑む旅

アニメの世界を舞台で再現するのは至難の業だと思うが、この舞台版は原作アニメの中心的なテーマ(私たちのアイデンティティーと欲望、そして自然界との関係)に関して一切の妥協を排している。

舞台『千と千尋の神隠し』の舞台写真

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

忘れ難いシーンが2つある。まずは、オクサレ様(腐れ神)が油屋を訪れる場面だ。ヘドロのようなその姿はちぎった茶色い布で表現され、居合わせた全員が忌み嫌うのだが、千尋はその醜悪な外見に隠れた真の姿を見抜く。

最初は逃げていた精霊たちも、ついには団結してオクサレ様を洗ってやる。透明プラスチックなどで水の浄化力を表現する演出がいい。

ヘドロやゴミを取り除いてもらったオクサレ様は本来の姿(竜=川の精)に戻り、凧のように観客席へ向かって飛んでいく。人間による環境破壊の罪深さと、その責任を考えさせられる場面だ。

もう1つは、油屋で千尋に付きまとう孤独なカオナシの運命だ。黒い衣をまとい無表情な仮面を着けた姿のカオナシは、その不気味にゆがんだ足取りで深い孤独と実存的な虚無を表現している。

その空虚感を満たすためにカエルの精霊を食べてしまったカオナシは、さらに薬湯の札や砂金を餌に次々と客を食べ、体がどんどん膨れ上がる(その様子は黒衣をかぶって身もだえする役者たちによって表現される)。際限のない消費に溺れて自分を見失いがちな現代人への警鐘だ。

舞台『千と千尋の神隠し』でカエルを演じるおばたのおにいさん

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

カオナシは千尋にも砂金を差し出すが、千尋は受け取ろうとしない。これにショックを受けてカオナシはわれに返るのだが、その姿には私たちの飽くなき欲望が鏡のように映し出されている。千尋のような存在に、果たして私たちも出会えるだろうか。

もちろん、本作の核には千尋の成長と、それに伴う変化の物語がある。千尋は甘やかされた少女から勇気ある若い女性へと変身する。欲望の渦巻く世界に迷い込んでも、道徳心は揺るがない。

千尋には思いやりの心と正義感がある。だから自分を見失わない。人間性よりも物質的な豊かさを優先しがちな今の世界にあって、彼女は得難い希望の星だ。

私たちの人生は変化の連続であり、変化は時に耐え難くもある。それでも変化を恐れてはならず、決して自分を見失ってはいけない。そのことの大切さに、『千と千尋』は気付かせてくれる。

千尋を演じる上白石萌音

PHOTOGRAPH BY JOHAN PERSSON

環境破壊が進み、多様なアイデンティティーが錯綜する世界にあっても、生身の人間が演じる『千と千尋』を見れば私たちは気付く。物語には人を、そして世界を変える力があるのだと。

劇場を出た私の心は晴れていた。スタジオジブリの魔法は西洋の舞台でも絶妙に効いて、見事な希望の火花がはじけた。そう、どんな逆境にあっても、共感があって仲間がいて、自然に対する畏敬の念があれば、明るい未来への道は開けるのだ。

The Conversation

Yuan Pan, Lecturer in Environmental Management & Sustainability, University of Reading

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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