大江千里はなぜポップからジャズに転身したのか 47歳でNYに留学して取り戻した青春と、きらめく「人生の第2章」
街に音楽があふれ、道行 く人は十人十色のニュー ヨークの自宅で作る「千里ジャズ」! SENRI OE
<特別寄稿:47歳の時にシンガーソングライターからジャズピアニストに転身した大江自身がつづる、挑戦する人々への珠玉の応援歌【特集「世界に挑戦する日本人20】より>
2008年、47歳でニューヨークにジャズ留学し、人生の第2章が始まった。
日本では23歳でシンガーソングライターとしてデビュー、アルバムをたくさんリリースし全国を何度もツアーした。なぜあえてゼロから、アメリカ留学とジャズという新境地にチャレンジしようと思ったのか。それには3つ理由がある。
1つ目はポップミュージックという恋愛をモチーフにした楽曲作りの旬から、若干遠ざかりつつあったこと。僕の中でドキドキワクワクの現役である10代から距離ができることで、年齢相応のリアリティーを出す加減が難しくなった。30代の10年は僕にとって、シンガーソングライターとして試行錯誤しながら「ポップを書き切る」時代となった。
2つ目。40歳で人生の岐路が来る。右足の付け根に小さな脂肪腫が見つかった。
ちょうどクリスマスコンサートのパンフレットの撮影で、フィンランドに向かう飛行機の中だった。一歩も歩けないほどの痛みに悶絶。現地に到着するなり救急病院で除去手術を行った。痛み止めを飲み一晩爆睡すると痛みは減り、撮影は順調に行われた。
だが日本に帰国後、それが見事に転移し、除去手術を何回か繰り返すことになる。除去するとまた転移するという塩梅(あんばい)で、そのうち除去をやめた。
父は長崎で被爆しており、僕は被爆二世。よく父が言う「人生には限りがある。やりたいことを今のうちにやれ」という言葉が脳裏をかすめる。でも良性なのだからジタバタしない。そう心に決めた。
その頃、母が亡くなり仲のいい友人が亡くなり、おまけにかわいがっていた犬2匹が亡くなった。父の言葉がグッと真実味を帯びる。人生は一回であり、やり直しがきかない。しかも賞味期限がある。
自分の人生はポップミュージックの世界で駆け抜けてきたが、もし明日死ぬとしたら何をする?――その頃、僕はそんなことを真剣に考え抜いた。そしてたどり着いた答えが、3つ目のジャズだった。