トム・ハンクスの新境地は、エルビス・プレスリーの胡散臭いマネージャー役
A Good Guy Steps Into the Shadows
世界の目がプレスリー(オースティン・バトラー)に集まるなか、パーカー(ハンクス)はいつも目立たない場所にいた COURTESY OF WARNER BROS. PICTURES
<なぜ自身が得意としてきた、素朴でまっとうな善人のアメリカ人ではなく、プレスリーを搾取した抜け目ない、利己的な商売人役を引き受けたのか? ベテラン俳優が魅せられた、豪腕マネージャー「パーカー」のエネルギー>
トム・ハンクスといえば、多くの映画に出演し、アカデミー賞をはじめ多くの賞を獲得してきた大物俳優だ。その彼でさえ、エルビス・プレスリーのマネジャー役を打診されたときは驚いたらしい。
映画『エルヴィス』のバズ・ラーマン監督が初めて会いに来たとき、「一体どうして私のところに来たのか、さっぱり見当がつかなかった」と、ハンクスは振り返る。
ハンクスが得意としてきた役は、素朴でまっとうなアメリカ人だ。これに対してマネジャーのトム・パーカーはプレスリーを搾取した抜け目ない商売人といわれ、表舞台にほとんど姿を見せなかった。「容姿も声も知らなかった」と、ハンクスは言う。
それでも一応リサーチを始めてみると、パーカーという人物にどんどん興味が湧いてきた。「欲得と天才的なエネルギーが絶妙に絡み合った」人物だと、彼は語る。「パーカーはアートのことは分からなかった。音楽にも映画にも興味はなかった」
パーカーの関心は取引をまとめることにあった。重要なのはプレスリーに100万ドルの価値があることではなく、実際に彼に100万ドルをつかませることだった。
1909年にオランダで生まれたパーカーは、29年にアメリカにやって来た。そして南部でサーカスやカーニバルの興行を手掛けるうちに、カントリー音楽のスターたちの宣伝を手伝うようになった。
無名のプレスリーに出会ったのは55年のこと。すぐに正式なマネジメント契約を結び、プレスリーを大手レコード会社に移籍させると、移籍第1弾シングル「ハートブレイク・ホテル」が全米ナンバーワンの大ヒットとなる。こうしてプレスリーは一躍、大スターの仲間入りを果たした。
だが、音楽業界の関係者の間でも、パーカーが何者かはほとんど知られていなかった。分かっていたのは、ずんぐりした体形で、どこのなまりか分からない英語を話し、プレスリーのギャラの50%という法外なマネジメント料を取っていたことくらいだ(当時は10~15%が普通だった)。
それでもプレスリー自身は、パーカーの働きに満足していたらしい。ハンクスは、プレスリーの妻プリシラや、かつての取り巻きたちの話を聞いて驚いたという。
「パーカーがいかに悪どい男だったか聞かされると思っていた。ところがみんな、パーカーは最高に愉快な男だったと言う。『ユーモアがあって朗らかで、その場を明るくしてくれる。いつも私たちの面倒を見てくれた』ってね」
ハンクスはその見方に納得していない。「パーカーは利己的な興行屋であって、決して善人ではなかった」