情熱と衝動とアニメ愛、日本で声優の夢をかなえた中国人・劉セイラ
「成績はトップになった。でも、国費留学の選抜は成績だけじゃなく総合点だった。寮の自室をきれいに整理整頓しているか、クラスでリーダーシップを発揮したか......とか。勉強に必死で掃除なんて全然やっていなかったので、その話を聞いてがっくり。最初に言ってよ! 必死に掃除したのに! まあ、調べていない私が悪いんだけれど。
国費留学生には選ばれなかったけれど、ほかに一部自費での留学プランもあった。それでも、当時の中国の物価からしたら結構な金額。とても許してもらえないだろうと思ったけど、泣きながら父に頼み込んだら認めてくれた。うちは別にお金持ちじゃないのに。娘の望むように人生を歩ませてやりたいという、中国の価値観からすると奇特な父親と見られるだろうけれど、本当に感謝している」
インタビューを始めてはや1時間、声優になるどころかまだ日本に着いてもいない。ドタバタが続くが、これもまた「中国人が日本の声優になる」という道なき道を進む険しさなのだろう。
「日本ではカルチャーショックの連続だった。日本と言えば至る所にアニメイトがあって......とオタク的な発想しかなかったけど、現実は名古屋近郊の田舎にある大学だった。空港から学校に向かうバスに揺られながら、どこに向かってるんだろう、身売りされちゃうんじゃないかとドキドキしていた(笑)。
その大学には2年生の後半から10カ月間在籍したが、結構つらい時期で。憧れの国・日本にたどり着いたはいいが、いろいろと現実を知ってしまった。(『鋼の錬金術師』の声優)朴璐美さんが日本語ネイティブだと知ったのもその1つ。声優の道の難しさもよく分かった。
声優の専門学校はたくさんあるけれど、留学ビザが取れない学校ばかり。当時は声優を目指す外国人なんて前例がないですもんね。ああ、もうダメだと諦めかけたが、お世話になった愛知文教大学の川田健先生が調べてくれて、日本工学院の声優・演劇科ならば留学ビザが出ると分かった。本当に恩師だと思っている。
短期留学を終えて北京に戻った後、出願を進めて、日本工学院が受け入れてくれることになった。ただし面接を受ける必要があると。これが大変だった。今なら個人観光ビザを取って日本に行くのは簡単。でも2008年当時、一般人はツアーでしか行けなくて。
まさか東京ツアーに参加して抜け出すわけにもいかないし、どうしようと思っていたところにラッキーな話があった。日中国交正常化35周年を記念した日中青少年歌合戦!
北京からは予選を勝ち抜いた3人が東京の本戦に出場できる。これは運命だ、絶対に勝てる!と思ったし、実際そうなった。東京で本戦に出場した後、日本工学院の先生に面接してもらった」
アクロバティックな解決策で難関をくぐり抜けるのは、まるでアニメのような展開だ。だが難関はまだ続く。