最新記事

セクシュアリティ

歴史の中の多様な「性」(1)

2015年11月30日(月)20時00分
三橋順子(性社会・文化史研究者)※アステイオン83より転載

 また「大国の 美人尾州に 跡を垂れ」という川柳があるように、江戸時代には旅案内などにも記された、かなり知られた話で、熱田神宮境内には「楊貴妃の墓」と称する石塔があって、ちょっとした名所になっていた。もちろん、現代の熱田神宮は、この話を荒唐無稽なものとしていっさい認めていない。墓石の一部と伝えられる岩(石材)が、境内の清水社の背後の水場に残っているだけだ。

 熱田の神が楊貴妃という女性になるという発想は、熱田神宮と深い縁をもつヤマトタケルの「熊襲(クマソ) 征伐」における女装譚が発想のベースになっているように思うが、神道において、女身転換や女装は禁忌ではなかったことがわかる。「女身に転換したのなら男色ではないだろう」と言われると、ちょっと困ってしまうが。

 話がだいぶ散らかってしまったので、まとめておこう。

1a 日本の伝統宗教(神道・仏教)には、男色や異性装を禁じる宗教規範がない。
1b 故に、ジェンダー・セクシュアリティの枠組みが緩い社会で、男色や「あいまいな性」の人が存在できる社会だった。
2a 欧米キリスト教社会では、宗教規範として、異性装、同性愛は厳しく禁じられていた。
2b 故に、ジェンダー・セクシュアリティの在り様は、厳格な男女二元制、異性愛絶対主義だった。
3a 日本でジェンダー・セクシュアリティの枠組み(社会制度)が男女二元制、異性愛絶対主義の方向で強化されていくのは、明治時代以降である。
3b それでも、実際には同性挙式や事実上の同性婚が行われていた。

 普通に「日本社会の伝統」といえば、私は1a・1bを指すと思う。ところが、なぜか「日本社会の伝統」を強調する人たちは、1a・1bを無視して、2a・2b的な形を「伝統」として支持する。しかし、それは「キリスト教社会の伝統」であって、日本社会では、たかだか一二〇‐一五〇年ほどの「歴史」しかない形態だ。明らかに捻じれているし、「伝統」を無視している。ということで冒頭の②も論破できた。

 ところで、日本社会のこうしたジェンダー・セクシュアリティの枠組みが緩い「伝統」を、現在、同性パートナーシップや同性婚の実現を積極的に推進している人たちは、ほとんど知らないか、あえて無視する。同性パートナーシップや同性婚の実現は、欧米の進歩的な人権思想に裏付けられた最先端のカッコイイ社会現象でなければならないからだ。そして、そうした単純な欧米追従的な発想と姿勢が、保守層の反発を余計に招いていることに気づかない。そもそも自分たちの先輩たちが困難な時代環境の中で苦労して築いてきた文化をリスペクトしない人たちが、世の中の多くの人の共感を得られるだろうか。私には疑問だ。

 どちらも、歴史を顧みないという点で、まったく困ったものである。

※第2回:歴史の中の多様な「性」(2) はこちら

[執筆者]
三橋順子(性社会・文化史研究者)
1955年生まれ。専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史。中央大学文学部講師、お茶の水女子大学講師などを歴任。現在、明治大学、都留文科大学、東京経済大学、関東学院大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院などの非常勤講師を務める。著書に『女装と日本人』(講談社)、編著に『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社)など。

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。
asteionlogo200.jpg



<*下の画像をクリックするとAmazonのサイトに繋がります>


『アステイオン83』
 特集「マルティプル・ジャパン――多様化する『日本』」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス


今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

グリーンランド首相「米は島を手に入れず」、トランプ

ビジネス

中国3月製造業PMIは50.5に上昇、1年ぶり高水

ビジネス

鉱工業生産2月は4カ月ぶり上昇、基調は弱く「一進一

ビジネス

午前の日経平均は大幅続落、米株安など警戒 一時15
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者が警鐘【最新研究】
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    「炊き出し」現場ルポ 集まったのはホームレス、生…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    メーガン妃のパスタ料理が賛否両論...「イタリアのお…
  • 7
    3500年前の粘土板の「くさび形文字」を解読...「意外…
  • 8
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 9
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 10
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 9
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中