社会に出たら学ばない──日本人の能力開発は世界最低レベル
「インターネット時代だからこそ知識が重要」という認識が弱い
インターネットでほとんどの知識を得られるので知識を有することは意味がなくなったという意見をよく聞きます。これは日本だけでなく、世界中でいわれていることです。単なる丸暗記は意味がないという程度の意味であれば賛成です。しかし、知識は不要という意味であれば反対です。
たとえば、イスラム原理主義者によるテロを考える際、イスラム教に関する知識がないと何も議論できないのは明白です。インターネットで短時間検索した程度では正確、かつ深い知識を得ることはできません。原理主義的な考えを持つイスラム教徒の中でも、テロに走る人はごくごく一部です。そのことを知らないと、大きな偏見を持ってしまいかねません。
ここでいう知識とは、短期的で動的な情報に対して、長期的で静的なものを指します。そもそも情報と知識の区別には絶対的なラインがあるわけではなく、相対的である点には注意が必要です。新聞やテレビ、ソーシャルネットワークが情報、良質な書籍や大局的な視点を持った実務家・専門家の知見などが知識です。新聞でも長期的な視点を与えてくれる知識もある一方、書籍の中には一時的な価値しかないものもあります。
インターネットで多くの情報や知識が入手できる、デジタル革命といわれる変革の時代であるからこそ、知識がますます重要になっています。その理由を改めて整理しておきたいと思います。
第一に、さまざまな情報が錯綜する中で、コアとなる知識が定着していないと判断を誤ることが挙げられます。これは1章でも言及したとおりです。
たとえば、人類にとって大きな課題であるエネルギーの安定供給問題。原発については賛否両論ありますが、太陽光など再生可能エネルギーに関しても、蓄電で安定供給ができるという意見から、コスト高や供給量の不安定さのため安定供給は困難という見解までさまざまです。
この点について判断するには、エネルギー問題やエネルギーが経済に与える影響についてのコアとなる知識と、それに基づく洞察が不可欠であることはいうまでもありません。
第二に、スピード化する現在では、瞬発力の前提として知識が求められるからです。ビジネスの現場では瞬時に何らかの仮説を立てる必要に迫られます。たとえば、IoT(Internet of Things)に関する知識がないと、クライアントとの打ち合わせでビジネスモデルに関する臨時の仮説を立てることができず、話を進めることすらできないでしょう。
こうした現状分析の後、本書で提唱されるのは「森羅万象に好奇心を持ち学ぼうとする習慣」「そのジャンルで異端とされる本を読む習慣」「外国の映画・ドラマを戦略的に見る習慣」「STEMを学ぶ習慣」「知識を深め、見識に高めるための『対話』の習慣」......。既存の知識に加えて、新しい知識をいかに学ぶかが問われる時代を生き抜くためのアドバイスだ。
※第2回:オフはとにかく休みたい、会話は仕事の話ばかり、という日本人
『世界で通用する「地頭力」のつくり方
――自分をグローバル化する5+1の習慣』
山中俊之
CCCメディアハウス
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