17歳で出産、育児放棄...25歳で結婚、夫が蒸発...「後悔なんてしない」「過去は振り返らない」は間違い
人々の肌に彫られて、数々の賢人たちに信じられている「アンチ後悔主義」は、当然正しいものだと思われているらしい。
この考え方は、無批判に信奉されている場合が多い。「つらい感情をわざわざ経験する必要などない」「ポジティブ思考の温かい陽だまりでぬくぬく過ごせばいいのに、雨雲を呼び寄せるなんて馬鹿げている」「未来の無限の可能性を思い描けるときに、過去のことでくよくよするなんて意味がない」......。
こうした発想は、直感的には理にかなっていそうに思える。正しく、説得力のある主張に感じられるかもしれない。しかし、そこには、見過ごせない欠陥がひとつある。
この考え方は、決定的に間違っているのだ。
アンチ後悔主義者が勧める行動を実践しても、よい人生を生きることはできない。その主張は、端的に言って――過激な言葉を使って恐縮だが、このように表現するほかないと思っている――救いようのないデタラメだ。
後悔することは、危険でもなければ、異常でもない。幸福への道からはずれるわけでもない。それはきわめて健全で、誰もが経験し、人間にとって欠かせない感情だ。
それに、この感情は有益でもある。ものごとが明確になるし、今後に役立つ教訓も引き出せる。正しく後悔すれば、かならず精神が落ち込むとも限らない。むしろ、精神が高揚する可能性だってある。
このような考え方は、はかない白昼夢のような空想でもなければ、血も涙もない冷酷な世界で安らぎを感じるためにでっち上げた甘ったるい希望的観測でもない。それは、過去半世紀以上積み重ねられてきた科学的研究により研究者たちが到達した結論だ。
本書では、後悔という感情について考える。過去にあんなお粗末な選択をしたり、誤った決断をしたり、愚かな行動を取ったりしていなければ、現在もっとよい状況だったはず、未来がもっと明るかったはず――という苦しい感情に光を当てる。
後悔に関してより正確で新鮮な視点を紹介し、後悔の強力なパワーを活用して好ましい変化を起こす方法を示したい。
演じているだけの「後悔しない主義者」
「後悔なんてしない」と言う人が嘘をついているわけではない。そのような人たちは、俳優のように役を演じているのだ。あまりに頻繁に、しかもすっかりその役になり切って演じているために、その役の世界が現実だと勘違いしている。
私たちの人生では、このように自分を騙す心理的トリックが実践されることは珍しくない。ときには、それが健全な反応である場合もある。しかし、たいていは、そうやって自分を騙すと、真の満足感を得るために向き合うべき難しい課題を避けることになる。
エディット・ピアフもそうだった。ピアフは、後悔なんてしないと主張していた。高らかに宣言していたと言ってもいい。しかし、その四七年の生涯は、悲劇やトラブルの連続だった。
一七歳で出産したが、育児を放棄し、その子どもは三歳の誕生日を迎えずに死亡した。子どもの死に関して、ピアフは後悔による胸の痛みを感じなかったのだろうか。
アルコール依存やモルヒネ依存の状態だった時期もあった。みずからが才能を発揮する足を引っ張った依存症について後悔しなかったのか。