リアル「シャブ漬け生娘」に接している精神科医が、吉野家常務の発言と反応に感じた強い違和感
しかし、このお粗末な実験を鵜呑みにしてはいけない。檻のなかの動物が死ぬまでレバーを叩くのは、孤独なうえに死ぬほど退屈で、何よりとても窮屈で、そうしたつらさを紛らわせるのに、他にできることがないからなのだ。
それを証明したのが、1970年代終わりに心理学者ブルース・アレキサンダーが行った、有名な「ラットパーク実験」だった。それは、一匹ずつスキナーボックスに閉じ込められたネズミと、多数の仲間と一緒に広々として遊具がたくさんある楽園に置かれたネズミとで、どちらの方がよりたくさんのモルヒネを混ぜた水を消費するのか、という実験だった。
その結果、大量のモルヒネ水を懸命に摂取し消費するのは、檻のなかに閉じ込められた孤独なネズミの方だった。広々とした快適な空間で仲間たちとじゃれ合い、楽しむネズミたちは、不思議とモルヒネ水を消費せず、見向きもしなかったのだ。
人間が覚醒剤に依存してしまう原因も孤立無援にある
ラットパーク実験は、依存症の原因は、薬物の側ではなく、孤独で窮屈な檻の側にある可能性を示唆している。
人間だって同じだ。
もしも「シャブ漬けになった生娘」がいたとすれば、それは覚醒剤という強力な依存性物質だけのせいではない。彼女たちの多くが、嵐の吹き荒れる家庭に育ち、虐待やいじめといった暴力、あるいは無関心に曝されながら、生き延びるために家を脱出していた。当然ながら、金もなければスキルや知識もなく、何より安心して相談できる相手がいない。
そんな寄る辺なき彼女たちが夜の街を漂流していると、つけ込んでくる悪い男たちがいる。彼らは生娘たちに手っとり早く金を稼げる仕事と居場所を与え、ついでに覚醒剤も与える。
彼女たちは心の痛みを緩和し、自殺を遠ざけたい
もしかすると表向き、彼女たちは享楽的な日々を無邪気に楽しんでいるように見えるかもしれない。だが、決してそれでよいと思っているわけではないのだ。隙あればその状況から逃れたいと願い、実際、逃亡も試みるが、すぐに連れ戻され、あるいは、一人で生計を成り立たせることができず、肩を落として元鞘に収まらざるをえない。そして、再び殴られ蹴飛ばされる恐怖と痛みの世界で、「助けを求めても無駄なのだ」と絶望している。
なかには、その地獄に奇妙な居心地のよさを感じてしまう人さえいる。子どもの頃から「一番承認してほしい人」から殴られて育てられてきた人は、しばしば愛情の絆と暴力とを混同し、男性からの暴力に「愛されている」と誤解してしまいやすい。
「覚醒剤と出会わなければ、そうはならなかった」という意見もあるだろう。しかし、はたして本当にそうか? 私の臨床経験に照らせば、覚醒剤と出会わなければ、代わりにリストカットや市販薬のオーバードーズ、あるいは拒食や過食・嘔吐に耽溺した可能性がある。いずれも、胸の奥にぽっかりと口を開く虚無を埋めて心の痛みを緩和し、今すぐ自殺するのをほんの短いあいだ延期する効果があるからだ。
恵まれた環境で育った子ならば危機回避は難しくはない
恵まれた環境のなかで自己肯定感を育まれた子ならば、そうはならない。これまでたくさんの承認を受けてきた蓄積があるから、「自分には力がある」「自分はそんな人間ではない」という確信がある。いつ田舎に戻っても、温かく迎え入れてくれる居場所があり、悪い男に捕まったら諭してくれる仲間がいる。だから、あやしげな誘惑を拒絶することにためらいがない。