最新記事

農業

「58円の野菜ですら丁寧に包装」 日本の農家がやりがい搾取の沼にハマる根本問題

2022年2月7日(月)12時00分
野口憲一(民俗学者) *PRESIDENT Onlineからの転載
日本のスーパーの野菜コーナー

日本では野菜の多くも個包装されて販売されるが…… *写真はイメージです JGalione - iStockphoto


日本のスーパーマーケットには廉価でも見た目の美しい農産物が並ぶ。民俗学者でレンコン農家の野口憲一さんは「日本では消費者も農家も『野菜は美しくて当たり前』という価値観を持っている。それこそが農家にやりがい搾取を強いている」という――。

※本稿は、野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

海外のカイワレ大根は長さが不揃い

有機農業であろうと植物工場のような栽培方法であろうと、農業にとって重要なのは農家としての高い技術や技能、そして植物への愛情です。

このような植物に対する捉え方、すなわち農業観は何も農家の中にだけ存在しているわけではありません。このような感覚は、文化として社会全体に存在しているというのが民俗学者としての私の見解です。その証拠として、日本のスプラウト野菜の代表格であるカイワレ大根と、アメリカのスプラウト野菜を比較してみてください(図表1)。

日本とアメリカのスプラウトの比較

アメリカの売り場の写真にうつっているのは、さやえんどう(snow pea)とひまわり(sunflower)のスプラウトです。カイワレ大根とは作物の違いはありますが、着目していただきたいのは、その形状です。カイワレ大根が整然とした長さに揃っているのは単なる偶然ではなく、農家の技術の結晶なのです。食物としての合理性のみを追求すれば、アメリカの売り場のようなカイワレ大根でも別に構わない。しかし、購入意欲をそそられるのはどちらでしょうか? 日本人であれば考えるまでもなく、日本のカイワレ大根型の形状を選ぶに違いありません。

このカイワレ大根に象徴されるように、日本では見た目の美しさまで重視した野菜がスーパーに並べられ続けてきました。日本の農家は、見た目の洗練さえも追求し続けてきたからです。結果的に、それこそが我々日本人にとっての農作物のイメージとなりました。見た目の美しい農作物が絶えず当たり前にスーパーに陳列され続けることによって、その商品イメージが消費者にまで浸透しているのです。

もちろん、消費者はカイワレ大根の作り方の違いなど知るはずがありません。しかし消費者は、見た目も美しい野菜を選択して購入するという消費行動を通して、知らず知らずのうちに農家の作物への眼差しを受容し、野菜という商品に対する審美眼を形成してきました。平たく言えば、我々日本人はこのような価値観をいわば文化にまで昇華させてきたわけです。

しかし、このような農家と消費者が共有する価値観こそが、実は農家にやりがい搾取を強いてしまう原因なのです。

「労働」と「仕事」の違い

なぜ見た目まで美しい農産物を求めるという、農家と消費者が共有している価値観がやりがい搾取につながってしまうのでしょうか。それには、日本の古くからの特徴的な働き方が関係しています。

かつて日本には労働は存在しませんでした。どういうことかと言いますと、実は日本にかつてあった働き方は「労働」とは異なるものだったのです。ここではこれを「仕事」と呼びたいと思います。「一緒じゃねぇか!」という突っ込みがありそうですが、労働と仕事は異なる概念です。

労働という言葉には、「強制労働」という言葉があるように、生活や給料のためにやりたくもない作業を無理やりやるというイメージがつきまといます。明らかに働くことに対するマイナスイメージを含んでいます。

一方、仕事という言葉にはプラスのイメージが含まれます。「仕事人」という言葉から受ける響きを思い浮かべてみてください。その言葉には、自分の仕事にプライドを持ち、なおかつ社会にも認められているというプラスのイメージが含まれているはずです。

伝統的な日本社会における働き方は、労働ではなく「仕事」でした。この働き方の存在が、皮肉にも農業にやりがい搾取をもたらしてしまうのです。

奴隷的な活動としての「労働」

日本は明治維新以後、欧米から技術を学んで国力を増強させようとしてきました。いわゆる富国強兵です。西洋からは、近代的な技術はもちろん、彼らの価値観を構成している様々な概念も輸入しました。例えば、福沢諭吉がlibertyという英語から「自由」という訳語を、西周がphilosophyから「哲学」という言葉を作ったように、西欧の概念は徐々に日本でも広まっていきました。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

透析・手術用の品目、「安定供給図る体制立ち上げた」

ワールド

トランプ氏、NATOへの関与に否定的発言 集団防衛

ワールド

北朝鮮が固体燃料エンジンの地上燃焼実験、金総書記が

ワールド

ウクライナ大統領がUAE・カタール訪問、防衛協力で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:BTS再始動
特集:BTS再始動
2026年3月31日号(3/24発売)

3年9カ月の空白を経て完全体でカムバック。世界が注目する「BTS2.0」の幕開け

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 2
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度を決める重要な要素とは?
  • 3
    オランウータンに「15分間ロックオン」された女性のSNS動画が拡散、動物園で一体何が?
  • 4
    ビートルズ解散後の波乱...「70年代のポール・マッカ…
  • 5
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 6
    【銘柄】東京電力にNTT、JT...物価高とイラン情勢に…
  • 7
    ヒドラのように生き延びる...イランを支配する「革命…
  • 8
    映画『8番出口』はアメリカでどう受け止められた?..…
  • 9
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反…
  • 10
    カタール首相、偶然のカメラアングルのせいで「魔法…
  • 1
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反対署名...「歓迎してない」の声広がる
  • 2
    三笠宮彬子さまも出席...「銀河の夢か、現実逃避か」モナコ舞踏会に見る富と慈善
  • 3
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 4
    レストラン店内で配膳ロボットが「制御不能」に...店…
  • 5
    中国の公衆衛生レベルはアメリカ並み...「ほぼ国民皆…
  • 6
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 7
    中国最大の海運会社COSCOがペルシャ湾輸送を再開──緊…
  • 8
    イランは空爆により核・ミサイル製造能力を「喪失」…
  • 9
    映画『8番出口』はアメリカでどう受け止められた?..…
  • 10
    作者が「投げ出した」? 『チェンソーマン』の最終…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 6
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 7
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 8
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中