「寮付き派遣」で働く27歳を待っていた地獄 ピンハネ、労災隠し、生活保護求めると無低に強制入居......
20歳を過ぎた頃、それらの借金をめぐり父親と刃傷沙汰寸前の争いになったときのことだ。父親は「親が子どもを使って何が悪いか!」と開き直ったという。この出来事をきっかけにシュウゴさんは家族と縁を切り、故郷を出ようと決めた。
身ひとつで、知らない土地で働くには寮付き派遣しかなかった。ただ当時のシュウゴさんは夢や期待のほうが大きかった。「学歴も、職歴もない自分に飛行機代も出してくれる、住まいも用意してくれる。入社祝い金やクオカードももらえる。寮付き派遣って、いいことずくめじゃないか」。
「寮付き派遣あるある」の実態
しかし、実際の派遣労働は期待外れの連続だった。沖縄を出る前は時給1600円と聞いていたのに、現地に着くと「今その仕事の空きはない。時給1250円の仕事ならある」と説明された。ただ、どちらの時給の仕事も業務内容は同じだという。
納得できなかったが、いまさら沖縄に戻るわけにもいかず、やむなく時給1250円で働いた。その後、何度か派遣先は変わったが、事前の約束より時給が下がることはあっても、上がることはなかった。
派遣元会社が用意する寮の家賃も割高だった。寮といっても、派遣元会社が借り上げた民間アパート。あるとき、築40年以上の木造アパートで毎月約8万円の寮費を引かれたことがある。高すぎると感じ、不動産会社に直接問い合わせたところ、実際には家賃5万円ほどの物件であることがわかったのだという。
シュウゴさんに言わせると、派遣元会社が相場より高い寮費を取るのは「寮付き派遣あるある」。残業の有無にもよるが、収入は手取りで月18万円ほどで、昇給もボーナスもない。揚げ句の果ての仕打ちが労災隠しである。
貧困ビジネスの餌食に
愛知の派遣会社を雇い止めにされたシュウゴさんは、その後どうなったのか。
シュウゴさんは別の寮付き派遣などの仕事を探して神奈川や群馬、埼玉を転々とした。そして昨年4月、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で雇い止めに。住む場所もなく、所持金も尽きたので、関東近郊のある自治体で生活保護を申請したところ、悪質な無料低額宿泊所(無低)に強制的に入居させられた。
無低では、劣悪な住環境にもかかわらず、入居費、食費として約8万円をピンハネされ、シュウゴさんの手元に残るのは毎月たったの1万円ほどだった。
しかも無低から最寄り駅までは歩いて1時間。就職活動のため駅まで歩き、そこから電車でさらに1時間以上かかる都心の面接会場に行き、汗だくになって帰ってきても、施設内で決められた入浴時間に間に合わないことがたびたびあった。風呂の時間に少しでも遅れると、罰として食事を抜かれたという。
この間、生活保護の担当ケースワーカーが無低まで面談に来ることは一度もなかった。代わりに電話でたびたび心ない言葉を浴びせられた。「若いのに生保に頼らなきゃいけないなんておかしいよ」「もっと働けるでしょう」「身内に頼れないのは、あなたにもやましいところがあるからじゃない?」。
こうした暮らしは、シュウゴさんが貧困問題などに関わる市民団体に助けを求めるまで4カ月間にわたって続いた。シュウゴさんは昨年夏、市民団体の助けを借りてアパートに転居。自己破産の手続きをして、今年1月には腰の手術も受けた。
いびつな関係がはびこる「労働者派遣」
それにしても。若者を低賃金で使い倒し、使えなくなったらゴミのように捨てる会社を放置し、最後のセーフティーネットであるはずの生活保護では、悪質無低の食い物にさせる――。この国の雇用政策と福祉行政は、いつからここまで狂ってしまったのか。
労働者派遣においては、派遣労働者と派遣元会社、派遣先会社は三角関係にある。1990年代以降、経済界の要望に押される形で労働者派遣の規制緩和が進んだが、それは3者の関係が対等であることが前提だったはずだ。
しかし、貧困問題の取材現場では、3者は対等どころか、「派遣先会社>派遣元会社>派遣労働者」といういびつな関係がはびこっていると痛感する。まさに当初懸念されていたとおり、立場の弱い労働者が中間搾取の対象になっているのだ。禁止されている事前面接や日雇い派遣、偽装請負も横行している。3者の適切な関係を維持できないなら、労働者派遣など即刻やめて、従来の直接雇用に戻すべきだ。