リーマン破綻のドキュメント
金融崩壊を招いた「実行犯」とされたポールソン前米財務長官が激白。リーマン・ブラザーズCEO、ファルドの放漫経営に最後通牒を突き付けるまで
激流にのまれて 緊迫した状況でリーマンを見殺しにする意味を、ポールソンは理解していなかった Alex Wong/Getty Images
この間まで金融市場の支配者だったヘンリー・ポールソン前米財務長官が、これといった特徴のないワシントンのオフィスに座っている。回顧録を書こうとしているのだが、なかなか筆が進まない。
フットボール選手だった大学時代はアイビーリーグ一のタックルとして活躍。ハーバード大学経営大学院でMBA(経営学修士)を取り、最強の投資銀行ゴールドマン・サックスのCEO(最高経営責任者)から財務長官にまで上り詰めたウォール街の超エリートだ。だが今はとてもそう見えない。むしろ、試合に負けてパスやシュートの失敗を悔やみ続けるスポーツ選手のようだ。
ポールソンは、08年9月のあの週末をどう説明したらいいのか苦しんでいる。証券大手リーマン・ブラザーズが経営破綻し、金融界全体が倒壊したあの週末だ。
リーマンを見殺しにしたのは政府の失敗で、責任はひとえに財務長官だったポールソンにある。それが世間の評価だった。
リーマンが連邦破産法11条の適用を申請した9月15日、ポールソンはいち早く自分なりのストーリーを世間に売り込もうとした。リーマンが自力で生き残れなくても、「税金を危険にさらすのは不適切だと考えた」と、ポールソンは報道陣に語った。
政府はもう経営危機の企業を救済しないと、彼は言った。支援を当てにしてますます無謀な経営に走る「モラルハザード(倫理観の崩壊」を招いてしまうからだ。
だが周知のとおり、リーマン・ブラザーズの破綻後に政府は数千億ドル単位のお金を使って多くの銀行や他の金融機関を救済してきた。ではなぜ、リーマンは救わなかったのか。救済していれば金融パニックは回避できたかもしれないと、一般には思われている。
「裏切り者のユダ」と呼ばれて
ポールソンの説教めいた会見もむなしく株式市場は崩壊し、議会で証言したリーマン・ブラザーズのリチャード・ファルドCEOはポールソンを裏切り者のユダと呼んだ。マイクに顔を寄せ、ファルドは言った。「私が地中に埋められる日まで疑い続ける」
ポールソンは退任後初めての本格的なインタビューに応じ、決してリーマンを見捨てたわけではないと本誌に強調した。「これほど多くの時間を費やして救済に努めた企業はほかにない。政府がリーマンをつぶしたがっていたと受け止められるのは皮肉だ」
リーマンの破綻が金融パニックの引き金を引いたという議論も一蹴した。「リーマンは(金融危機の)症状の1つにすぎない。それ以上のものであったかのような話は完全なフィクションだ」
リーマン1社の破綻よりも、多くの銀行や金融機関が同時多発的に経営危機に陥ったことが金融危機の原因だと、ポールソンは言う。政府系住宅金融機関の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)や連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)、米保険最大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)、貯蓄貸付組合(S&L)大手ワシントン・ミューチュアルと、確かに挙げれば切りがない。
しかしだからといって、リーマン破綻のときにポールソンがその意味を理解していたことにはならない。恐らく、ポールソンほど当時の決断を繰り返し思い起こした人間はほかにいないだろう。
今にして思えばポールソンは、ウォール街の非情な権力者というより、自分では手なずけるどころか理解することもできない激流にのみ込まれて戸惑うきまじめな男だった。彼はよろめきながらも答えを求め、ベストを尽くした。
知力より突進力の性質が裏目に
そんな彼を最後に救ったのは、投資銀行のディーリングルームに放り込まれたら、たちまち市場の餌食になってしまうような、おたくタイプの元大学教授だった。
議論の余地はあるものの、あの危機的な数週間に英雄がいたとすれば、それは大学教授からFRB(米連邦準備理事会)議長に転じたベン・バーナンキだろう。物静かで内向的だが、その問題解決能力と議会に対する説得力は、金融の完全な崩壊を防ぐ上で決定的な役割を果たした。
ダートマス大学でフットボールをやっていた頃、身長185センチ、体重91キロのポールソンは「ハンマー」の異名を取った。相手ディフェンスに突進するときの破壊力が、爆発さながらだったからだ。
彼のキャリアを特徴付けるのも、知力より粘り強さと意欲だ。強引さで知られ、経営手腕も十分だった。99年にゴールドマンの株式上場を成功させたポールソンは、仲間の共同経営者たちに数億ドルの儲けをもたらし、間もなく会長兼CEOとして頂点に立った。
それでいて、奇妙なほどに発言が不明瞭になるときがある。彼はいわゆる洗練されたウォール街タイプとは違う。女優のような妻がいるわけでもなく(ポールソンの妻は大学時代のガールフレンドだ)、靴もイタリア製のオーダーメイドではなくカジュアルなローファーを履いている。週末にはロングアイランドの高級別荘地ハンプトンズに行く代わりに、イリノイ州の母親を訪ねる。
それでも迫力ある体格で押し出しが強い彼は、「ゴールドマン・ブランド」を象徴するのにぴったりだった。ウォール街のヒエラルキーでは、ゴールドマンは頭の良さと自信でトップに君臨する。アイビーリーグ出身者が多いゴールドマンのエリートたちは、州立大学出身者やトレーダー上がりが多いリーマンなどを格下のばくち打ちのように見下している。