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南ア、虹色の未来へ
アパルトヘイト撤廃から16年
驚異の成長、多人種社会の光と闇
驚異の成長、多人種社会の光と闇
南ア黒人の夢と現実
人種隔離の時代も終わり中流層が台頭しはじめた。だが黒人エリートたちは新たな問題に苦悩している
体制に反抗するのではなく、参加する--─それが、いま南アフリカで台頭しつつある黒人中流層の合言葉だ。ただし、自由をめざす闘いが終わったわけではない。
1994年4月の全人種選挙で、黒人の悲願だった参政権は実現した。だが、経済の主導権は依然として白人の手に握られたままだ。黒人と白人の著しい生活水準の差が縮まないかぎり、多人種共存の民主国家というマンデラ大統領のビジョンは説得力を失う。
経済の常識から考えても、黒人の能力を活用しない手はない。アパルトヘイト(人種隔離政策)の弊害の一つに「非効率」があった。
悪化する貧困や失業問題を解決するには、経済を立て直すしかない。そのためには、消費意欲の旺盛な幅広い中流層の存在が不可欠だ。
新生南アの発足から二年余り。以前はほとんど無に等しかった黒人中流層が、今や1200万人に達する南ア黒人の労働力人口の8%を占めているとみられている。
中流層に仲間入りし、車やプール付きの家などを手に入れた黒人たちは、経済的には何不自由のない生活を送っている。だが、そこにはジレンマも付きまとう。
みずからのルーツであるタウンシップ(黒人居住区)の文化を捨てることへの後ろめたさ。子供たちが部族の言葉を知らずに、英語だけしか話せなくなることへの不安。さらには、白人に囲まれた環境で日々直面する差別......。
「能力もないくせに、差別撤廃措置のおかげで出世した成り上がり者め」といった目で見られることもよくある。黒人中流層は「誰からも白い目で見られる」と言うのは、ラジオのトーク番組の司会者ダン・モヤネだ。
彼をはじめとする新中流層の黒人たちの生きざまを紹介しよう。
「黒人なまり」が問題に
36歳のモヤネは、ヨハネスブルクのラジオ局702の名物司会者。彼の顔は、高速道路わきの大きな看板や地元の新聞サタデースターの紙面で、市民にもおなじみだ(モヤネは昨年から、白人の司会者に代わって、同紙にコラムを執筆している)。
家族はモザンビーク出身の妻オデテと3人の子供たち。ヨハネスブルク郊外の住宅地に立つ彼らの家はプール付きで、車が3台入る車庫がある。
91年4月、モヤネはモザンビークでの亡命生活に終止符を打ち、12年ぶりに故国の土を踏んだ。モザンビークの国営ラジオ局にいた経験を買われ、帰国後まもなく、黒人ジャーナリストとしては初めて702に採用された。
だが、張り切って仕事をしたのもつかの間。すぐに番組から降ろされ、その後一年近く裏方仕事に甘んじなければならなかった。タウンシップのなまりをむき出しにした彼の口調は、多くの白人聴取者には耳障りだったのだ。
白人の話し方をまねる気はないし、かといって聴取者に語りかけられないのなら、局を辞めたほうがましだ......。マイクの前に復帰するまで、モヤネは何ヶ月も悩み抜いた。
人気者になった今でも、アパレルへイト時代の階層意識の根強さを痛感させられることはしばしばだ。たとえば、ゴミの収集に来た黒人がクリスマスのチップをもらおうと、モヤネの家の呼び鈴を鳴らしたときのこと。彼がドアを開けると、「白人のだんなに用があるんだがね」と言う。「だんなは留守だ」と答えると、その黒人はチップをあきらめて帰って行った。
「今でもほとんどの人は、黒人が郊外の住宅地に住んでいるなんて夢にも思わないんだ」と、モヤネは語る。こうした固定観念は、白人だけでなく、黒人の間にもしっかり根を張っているようだ。