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2009.09.29

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北京に漂う五輪後の暗雲

金メダルと大国の誇りを名目に貧しさと不自由さに耐えてきた国民が政府の裏切りに気づくとき

2009年9月29日(火)12時53分
クインドレン・クロバティン、メアリー・ヘノック、長岡義博

 8月16日、ボクシング男子フライ級の2回戦が行われた北京の工人体育館。ドミニカ共和国のフアン・カルロス・パヤノが中国国旗の五星紅旗を肩にかけてリングに上がると、驚いた観客から大歓声が上がった。試合には負けたが、再び五星紅旗を背にリングを後にするパヤノに、中国人の観客は大声援を送った。

 「これこそ真のオリンピック精神よ」と、大学生の馮時(フォン・シー、24歳)は感激した様子で言った。「世界で最も重要な国の一つになりたいという中国の願いを、他の国々も受け入れはじめた。この国が大きく変わり、超大国になる準備が整ったということをオリンピックで世界に示すことができた」

 世界もそう感じているかどうかはわからない。確かに北京五輪は、欧米や日本に対するコンプレックスから中国を解放し、大国としての誇りと責任感をもつ国へ脱皮する転換点になるかもしれないと目されていた。言論の自由や人権を軽んじない、より民主的で開かれた社会への第一歩にもなるだろうと期待されていた。

 しかし歴史的なイベントを終えようとしている今の中国には、チベット問題への批判に耳を貸さない先鋭的なナショナリズムと、デモや暴動も辞さない権利意識の芽生え、文化大革命の時代にも似た監視社会が入り交じった複雑な光景が広がっている。

 金メダルの数でアメリカを凌駕し、経済以外でも真の大国となった高揚感が覆う一方で、景気の減速や格差への不満がマグマのようにたぎっている。そうした不穏なムードや少数民族の抵抗に神経をとがらせ、警察国家への歩みを速める政府の姿は、むしろ全体主義に逆戻りするようでもある。少なくとも、欧米が望む形での開放や民主化が進む気配はない。

 2000年夏季五輪の招致でシドニーに敗れた北京が、08年の開催都市に選ばれたのは01年7月のこと。以来政府は国民に、五輪が繁栄と国家のプライド、よりよい未来をもたらすと約束してきた。中国にとって五輪は国の進歩を世界に見せつける最高の機会であり、それ自体が国民に強いるさまざまな犠牲への見返りだった。

この生活苦は約束と違う

 五輪の前、北京の人口1700万人のうち400万人を占めていたとされる出稼ぎ労働者は、居住許可証の不所持を理由に町から追い出された。天安門広場に近い伝統的な住居「四合院」を強制的に立ち退かされ、そのつらさを公の場で訴えていた2人の女性は、開会式の直前に警察に連行された。

 北京近郊では、五輪会場を樹木で飾るために水が奪われ、水不足に悩まされている。ビザ(査証)の規制を厳格化させたことで、一部の外国人ビジネスマンは国外退去に追い込まれた。

 そうした不自由さも五輪を成功させるためなら仕方ないと、国民は納得させられてきた。世界が中国の「進歩」を目にすれば、経済はさらに発展し、中国に対するネガティブな印象も雲散霧消するだろうという期待があった。

 しかし、現実の五輪がそこまでバラ色の未来をもたらさないことに人々は気づきつつある。世界中の人々に北京五輪を祝福してもらうはずの聖火リレーは、中国人から見れば理不尽なチベット弾圧批判のショーと化した。

 一方で五輪が近づくにつれ、豚肉の異常な値上がりや燃料価格の高騰、株価の下落が消費者の財布を直撃しはじめた。政府が80年代前半に経済改革を始めたときの市民との暗黙の約束――服従と引き換えの豊かさ――は、今にもほごにされようとしている。

 五輪開催が決まった01年、外国投資家に限定されていた上海B株が開放され、中国では株ブームが続いてきた。8月13日の午後、北京の証券会社の支店では、株価の動きを赤と黄色で示す電光ボードを多くの市民が見守っていた。株価は2日前に19カ月来の最安値を更新し、投資家は政府の無策ぶりにいらだちをつのらせている。

 兄や甥と資金を出し合って株を買っている方孟間(ファン・モンチエン)は、うんざりして歯の間から息を吸った。「最近の低迷は本当にひどい。景気がよいはずのエネルギー産業に投資しようとしても、政府が市場価格を国内のガソリン価格に反映させないため、企業が大損している」

 市場がこのままの状態なら多くの人が怒りだすだろうと、方は言う。そばにいた方の友人は、政府は市場に介入しないと誓ったのだと方に言い聞かせようとするが、方は納得しない。政府が何を誓おうが、その間にも私たちは大損していると、方は憤る。どうする気かと聞くと、方は首を左右に振ってこう言った。「待つ」

 政府にとっての問題は、待つことに耐えきれなくなった人々が目立ちはじめたことだ。中国公安部の統計によれば、「公秩序の混乱(陳情から抗議デモ、ピケ、暴動までを含む中国の官僚用語)」は93年の8700件から03年に5万8000件、05年には8万7000件に増えた(06年以降、公安部は最新統計の公表を拒んでいる)。

 国務院新聞弁公室が06年に発表した統計によれば、農村部における「公秩序の混乱」は03~05年に20%減少したが、都市部では逆に50%増加した。抗議活動はもはや内陸部に隔離されたものではなく、広東省や浙江省のような、より豊かな沿海部にも広がっている。

 7年前に五輪開催が決まったとき、政府は国際社会に対し国内の人権問題の改善を約束した。実際、過去10年で平均的な中国人の権利は大きく向上した。今年1月には労働者を保護するための新しい労働契約法が施行されたし、役人による腐敗は後を絶たないものの、被害者が補償を求めるための司法制度も拡充されつつある。

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