コラム

バイデン政権のマスク緩和令で、混乱広がるアメリカ社会

2021年05月19日(水)14時00分

ですが、例えば私の住むニュージャージー州は、全米でも最も厳しい規制がしかれています。したがって、マスク着用の義務は当面解除することはしないとしています。ところが、例えばウォルマートの場合、バイデン大統領の方針を受けて「全米レベルではマスク着用義務を解除」と宣言してしまっているわけです。

法的には州の規制が優先されますし、現場でもそれは徹底されています。ですが、消費者の中ではその区別が良く分かっていない人もあり、一部には口論に発展するケースなどもあったようです。

さらに深刻なのは、ワクチン接種者はマスクを外していいが、未接種者は依然として着用を義務づけるというルールの運用です。この点に関しては、本来であれば、EUや航空業界が導入を進めている「ワクチン・パスポート」アプリを普及させて、QRコードで確認するのが理想です。ところが、南部や中西部の保守州では「個人の健康に権力が強制介入するのを嫌う」保守カルチャーを背景に、「ワクチン・パスポート」の運用を禁止する法律を真っ先に成立させてしまっており、全米レベルでの実施は絶望的となっています。

そこで、CDCのロシェル・ワレンスキー所長は、接種済みかどうかは「個人の良心に委ねる」としており、この先の運用についてトラブルが起きないか危ぶまれているのです。

マスクがヘイトクライムのきっかけに

さらに問題なのは、州や地域にもよりますが、マスク緩和令が出た州において、自分はワクチン接種済みであっても、変異株の蔓延などを警戒して、依然として個人の判断でマスク着用を続ける場合にどうなるか、という問題があります。

実は、2020年2月にパンデミックが発生する前には、アメリカ人の間ではマスクは「病人と医療従事者がするもの」というのが常識となっていました。つまり、インフルの流行などに対して予防目的でマスクを着用する習慣はなかったのです。そのために、NYではアジア系の住民がマスクをしていると、ウイルス保有者と間違われて暴力を振るわれるという事件が複数発生しました。これが、アジア系へのヘイトクライムの契機となりました。

これからNYなどでマスク緩和が進んだ場合も、アジア系の一部は「マスクをサッサと外す人には衛生意識の低い人間が多い」という警戒感から、ワクチン接種をしていてもマスク着用を継続するものと思われます。そうなると、暴力のターゲットとなるリスクは高まるわけで、これは非常に難しい問題です。

同じような理由で、不特定多数と接触する郵便局員、カメラマン、ミュージシャンなどの間にも、当面はマスクは外せないが、誤解を招いて暴力や差別の対象となるのが怖いという声が上がっています。

今回の措置は、マスク着用、特にその義務化を心の底から嫌い、ストレスをためていたアメリカの保守カルチャーを、「敵に回さず、自分の政治的成果を納得させる」ために、バイデン大統領としては政治的に必要な決断だった、それは理解できます。ですが、実務上はここまで述べたような混乱の可能性があり、それを何とか乗り切っていかなければならないのも事実だと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米、エヌビディア半導体「H200」の中国販売認可を

ワールド

米国の和平案でウクライナに圧力、欧州は独自の対案検

ワールド

プーチン氏、米国のウクライナ和平案を受領 「平和実

ビジネス

ECBは「良好な位置」、物価動向に警戒は必要=理事
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    中国の新空母「福建」の力は如何ほどか? 空母3隻体制で世界の海洋秩序を塗り替えられる?
  • 4
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 5
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    ロシアのウクライナ侵攻、「地球規模の被害」を生ん…
  • 8
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    EUがロシアの凍結資産を使わない理由――ウクライナ勝…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 9
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 10
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 10
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story