コラム

「正義」を冷笑して権力を手にしたトランプ

2017年09月19日(火)18時20分

そんな中で、9月12日にはヒラリー・クリントンによる2016年の選挙戦を回顧した『何が起こったか?("What Happened?")』が発売されて話題を呼んでいます。この本でヒラリーが述べているのは、どちらかと言えば「正義は正義だから暴走ということはありえない」という立場から、徹底的にトランプを「こき下ろす」という姿勢です。

具体的には、ドナルド・トランプというのは「性差別者」であり、「民主主義を信じない権力の亡者」であり、それゆえに「経済的にも諜報活動のターゲットということでもロシアに操縦され米国の国益を毀損する存在」だという全否定で一貫しています。

ですから「相手のことは悪の暴走」だと100%断定し、その相手側からは「正義の暴走」だとか「ヒラリーを牢につなげ」などと言われても平気(と言いますか、実際にそう言われてきたわけですが)であり、小気味よいほどです。ですが2017年も9月に差し掛かる中で、実際にトランプ政権が動きだした中では、ヒラリー的なアプローチが社会の分断を緩和するとはとても思えません。

いずれにしても、現在のアメリカでは、
「暴走と見られることをおそれて正義を抑制したオバマ」
「正義への冷笑を権力化するという手品で野次馬的な観客を集めるトランプ」
「正義に暴走なしとして100%の正義を躊躇なく掲げるヒラリー」
という3種類のアプローチが、いずれも国の分断を広める結果になっています。

もっと言えば、これに「正義だけでは人間は生きられないのだから、再分配の大盤振る舞いもセットしないと正義にならない」というバーニー・サンダースのグループが、今でも民主党内では勢力を維持しており、分断の構図を複雑にしているのです。

【参考記事】9.11から16年、アメリカの分断

こうした混乱、つまり全体として見れば「正義の動揺」という現象は、何もアメリカだけでなく、先進国一般に見られるものだと思います。ではどうすれば、こうした「正義の動揺」と「社会の分断」は緩和できるのでしょうか?

2つあるのだと思います。1つは、正義の達成というには、不正義を叩くことではなく、不正義の中にある情報不足や誤解を解きほぐすアプローチが必要ということです。例えば多文化主義を浸透させるには、排外主義を叩くのではなく、具体的な異文化の情報を孤立主義的な人々にも浸透させていく努力が先行すべきだということです。

2つ目は、理念としての正義が、グローバリズムの勝者である富裕層の特権的・貴族的な態度に過ぎないという印象を「与えない」ということです。あらゆる理想主義は、国内の格差問題などにも目を配ることで「与える側に回れない」という「脱落者」を作らないように配慮しながら進めなくては、足元をすくわれるということです。

いずれにしても、「トランプ現象」というかたちで「正義が挑戦を受けている」のが現在のアメリカであり、そこからアメリカがどう抜け出していくのかということには、世界的な「正義に関する議論」のなかでも重要な問題のように思います。

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガリニューアル!
 ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

原油先物、週間で4カ月半ぶり下落率に トランプ関税

ビジネス

クシュタール、米当局の買収承認得るための道筋をセブ

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた

ワールド

トルコ中銀が2.5%利下げ、インフレ鈍化で 先行き
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story