コラム

憲法96条改正の問題点を考える

2013年03月06日(水)13時42分

 憲法改正論議が真剣に行われるのは良いことだと思います。少なくとも衆参両院の権限の調整であるとか、司法権への民意の反映などを改善しようと思えば、憲法の改正に行き着くからです。それ以前に、日本語という「言語」の問題からすれば「解釈改憲」というのがこれ以上拡大してゆくということでは、言文一致ならぬ「事実と言葉の一致」を妨げ「日本語の危機」を深めるという考え方もあるからです。

 この憲法改正に関しては、現在の安倍内閣は「まず96条の改正を」という「作戦」を考えているようです。96条というのは言うまでもなく「憲法改正の手続き」を定めた条文ですが、まずこれを改正しようというのです。前回の第1次安倍内閣の際には「国民投票法」を成立させているわけですが、今回の第2次政権では例えば7月の参院選で圧勝すれば憲法改正の発議が現実味を帯びて来るわけで、その「貴重なチャンス」を「活かす」ためにも「まず96条」ということを考えたのでしょう。

 問題は現行の「96条」の規定です。この規定によれば現在では、憲法改正の発議というのは「両院」すなわち衆議院と参議院の「それぞれの3分の2」の決議が必要で、その後の国民投票での過半数の賛成で改正が成立することになるのです。問題はこの「それぞれの3分の2」ということです。このハードルは大変に高いわけで、自民党というのは1955年の結党以来この憲法改正を「党是」としてきたのですが、この条件をクリアできたことはありませんでした。

 つまり、日本国の憲法は「改正しにくい憲法」というわけです。一部の憲法学者が「硬性憲法」などと名付けていますが、その「硬さ」を取り除こうというのが今回の「96条改正」という話になっているわけです。

 この「96条改正問題」に関しては、次のような議論があるようです。

(1)そもそも憲法というのは「国の基本法」だから「硬くていい」のであって、改正を容易にするのには反対という立場と、余り「硬すぎては」民意や現実と乖離するという「改正しやすさ」をどうするかという議論があります。

(2)いやいや、安倍政権の「96条論議」はあくまで「天賦人権の制限や再軍備」のための改憲をしやすくするためのステップなのだから、96条改正の是非は、こうした「護憲か改憲か」という国家観の対立にすべきだという、いわば「本丸も合わせて」という論議も見られます。

 しかし、私にはこの96条問題だけでも、実務的にも理念的に更に多くの論点があるように思われます。

(3)一旦この96条を改正して憲法全体の改正ハードルを下げておいて、思うような改正を行い、その後に96条をもう一度「改正が難しいように」再改正すれば、次の憲法の「再度の硬性化」がテクニカルには可能です。今回の安倍政権がそういう意図を持っているかは分かりませんが、右の立場であろうと、左の立場であろうと「自分たちの思うような改正ができたと思ったら、将来の改正を難しくしたくなる」という誘惑は起きると思います。その場合は、民意と憲法が乖離した危険な状態が生まれる可能性があるのですから、改正するにしても「96条は簡単に再改正できない」ような仕掛けを入れるかどうかという議論は必要でしょう。

(4)これは(1)の議論の続きになりますが、議会も国民投票も過半数でいいことになれば、改正が簡単になりすぎるという問題はあると思います。世論の半数が反対している条文が通ってしまうというのは憲法の権威を低くし、社会を不安定にするからです。安倍首相も「国民の70%が賛成する改正が、議員の3分の1の反対で発議できないのは問題」という言い方をしています。そのレトリックの裏返しになりますが、発議について両院の過半数で良いとするならば、国民投票は70%とまでは行かなくても、60%とか55%という数字を要求するのが良いのではという考え方もあります。

(5)96条に関して、重要な条文は「硬く」しておいて、実務的な条文は「柔らかく」というように、各条文にコントラストをつけるという考え方もあります。それこそ憲法の性格が変わってしまうような大改正を行うのであれば、そうした改正はハードルを高くする必要があるとか、憲法の名称や「国のかたちの名称」(例えば第3次立憲君主制とか)の変更も必要になるかもしれません。例えば憲法の「前文」というのが改正可能なのか、そもそも必要なのかという議論も、96条改正の際に一緒に議論すべきでしょう。

(6)この(5)に関連してですが、日本の抱える国家観の対立というのは痛々しいほどに極端であるという見方もできます。天賦人権論を拡大して国家性悪説を加えて非戦国家にすれば、二度と倫理的にも戦闘的にも「敗者」にならずに済み、結果的に国民と国土の安全を高めるという立場と、シンガポールや明治藩閥政府のように私権を制限して「公」の秩序を守り、軽武装政策から再軍備にシフトするのが全体の安全を高めるという立場は、完全に水と油だからです。ということは「二者択一」はムリなのです。ムリであるならば、ムリな選択を行なって社会を不安定化するのは非現実的、従って理念的な部分に踏み込んだ改憲論議というのは適当ではないという立場から「条文ごとの改正要件に差をつける」という考え方もあると思います。

 ここまで考えてみて痛感させられるのは「どのような憲法がふさわしいのか?」といういわば「憲法観」というのがなければ、96条の改正を議論するのは難しいということです。漠然と「現状は余りにも変えにくい」とか「まず変えやすくしておいて、中身の議論はその次に」という主張だけでは、(2)にあるような政治的な駆け引き以前に、憲法改正の実務という意味からも国民の過半数の支持を得るのは難しいのではないかと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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