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プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
体罰カルチャーを乗り越えるための5つの論点
体罰そのものが問題なのではありません。女子柔道にしても、直接の抗議ではなく連名での告発状を組織に突き付けるという非常手段が必要だったわけで、それぐらい「監督への直接の申し立て」は不可能になっていたと思われます。桜宮高校の場合は、それこそ反発することや退部することに伴う監督とのコミュニケーションが「死よりも恐ろしい」という場所まで主将は追い詰められていたわけです。
そのような「精神の隷従」を強いることが、おそらくは選手たちの自己肯定感を傷つけ、チーム全体の冷静な作戦や練習方法に関する議論を封鎖し、更には激しいストレスをもたらすのだと思います。そのようなサイクルの全体は、人間を育てるというのとは程遠い環境と言うしかありません。
この点に関して言えば、問題はスポーツの世界だけではないように思われます。教育の現場におけるヒエラルキー文化、その全体を見直してゆかねばならないのです。日本の公教育においては、どういうわけか小学校以下では教員と生徒が不自然なほどに対等なコミュニケーションを取る一方で、逆に中学と高校という子どもたちが大きく発達する年代には、極端なヒエラルキーがあるわけです。
これは逆であるべきです。幼い子供には方向性をキビキビと示して「安定」を与え、思春期以降の子供には「人格の尊厳」を認めてゆくほうが人間性の教育としては理にかなっているからです。仮にそうであるとして、中高生と「対等」のコミュニケーションを取ってゆくには、どういったコミュニケーションのスタイルが求められるのでしょうか? それは決して「甘っちょろい」話ではないと思います。自分も教師の端くれであることもあり、自戒の意味も込めてリストアップしておきたいと思います。
(1)「自分より優秀な資質を認め、育てる」
まず我々大人の世代は「不完全な社会」しか提供できていないことを若い人に詫びる気持ちを持つべきだと思います。その上で問題を解決し、社会を改良してゆく可能性は若い世代にこそある、そうしたメッセージを発し続けるべきでしょう。科学技術もそうですし、スポーツの能力開発でも同じです。そのような姿勢を忘れなければ、教え子の才能に嫉妬してその才能を潰すような愚を犯すこともないのではないでしょうか。
(2)「例外事態を受け止め、それを教材にする」
スポーツ指導における思わぬ敗戦、思わぬミス、あるいは理科実験において想定外の結果が出た場合などといった例外事態というのは「生きた教材」なのだと思います。そこから発見できること、修正できることはたくさんあるはずです。指導者たるもの、そうした例外事態に狼狽して、当たり散らすような醜態は見せるべきではありません。例えば、サッカーの男女A代表があのレベルまで行けた背景には「練習試合で手を抜かず、貪欲なまでに修正点を探して行った」努力の積み重ねだとも言えます。ミスが懲罰の対象だなどという文化が間違っているのは明らかです。
(3)「褒める。それも徹底的に褒める。」
日本の指導法はネガティブアプローチだが、アメリカは楽観主義なのでポジティブアプローチ、というように文化の差で片付けるわけに行かないように思います。やはり褒めるべき時には徹底して褒めることが必要で、その技術というのも指導者には必要なのだと思います。
(4)「生徒と努力を競う」
指導者が権力を背景に「ふんぞり返っている」光景というのは醜悪なものです。生徒に努力を強いる、しかも自発的に努力するように仕向けるには、自分のほうが努力する姿を見せなくてはならないと思います。生徒に宿題の答案のクオリティを要求するのなら、その添削指導に手を抜くわけにはいかないでしょう。生徒に校庭10周の持久走を要求するのであれば、自分もそれ以上のペースで走りぬく走力を維持した上でなくては説得力はありません。
(5)「全ての指導は進路指導」
あらゆる教育は職業教育だと思います。どんな教育も間接的には教え子が成人した後の社会的貢献に寄与するというのが最終ゴールであるはずです。であるならば、授業の中で発揮される生徒の美質を評価する中で、そのような能力は「実社会においてはどんな社会貢献を可能にするのか」というメッセージを発信し続けることは大切です。数学を通じて論理性そのものに目を輝かせた子供、国語を通じて自分なりの修辞法を模索し始めた子供、そうした才能を発見した瞬間には「そうした才能が社会でどう評価されるのか」をメッセージとして「打ち込んで」行きたいものです。
いずれにしても、現在の体罰論議は実に不完全だと思います。体罰を使わず、体罰につながるネガティブアプローチを止めるとして、その反対に生徒との「対等性」を前提にするとして、それでも尚、指導者として生徒への強い動機付けを可能にする指導技術、その確立が大切なのだと思います。
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