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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
クリスタル・ブルーの再現した空~9・11「十一周年」
もう「あの日」から11年が経過したことになります。「あの日」を契機として、ブッシュ政権は報復的な性格を持つアフガンでの対タリバン戦争を仕掛け、今もなお戦闘は続いています。その一方で、同じく報復的な感情、あるいは不安感情の清算のためにイラクへも侵攻し、この2つの戦争のために膨大な人命と莫大な国富が失われました。
そのイラク戦争政策に加えて、リーマン・ショック(こちらはもうすぐ15日で4周年になります)を引き起こしたブッシュ政権を批判することで大統領選に圧勝したオバマは、今は再選の選挙運動中ですが、「チェンジ」であるとか「ホープ」といったスローガンがたいへんな熱気を発生させた前回とは違い、地味な選挙戦を強いられています。
そのオバマは、イラク戦争は批判したものの、どこまで本心かは分かりませんが「米国の真の敵はアルカイダである」という宣言を繰り返す中で、アフガン戦争に関しては泥沼化の責任を問われても仕方がないほどの「のめり込み」を見せました。そんな中、昨年2011年の春には、9・11の実行犯の背後にいた思想的中心人物であり、またテロ実行への支援を疑われていたウサマ・ビンラディンをパキスタン領内で超法規的に殺害してもいます。
大局的な観点から見れば、9・11という事件は、まず共和党のブッシュ政権によって「一国主義的な報復感情と不安感情」による2つの戦争を呼び起こし、戦争が継続する中で軍国主義的な政治力学が民主党にまで及ぶ中、民主党政権もまた20世紀にそうであったような「全人類的な理念」の看板を失って行った、その発端であるわけです。
一言で言えば、9・11というのは、アメリカが国際社会における理念的なリーダーシップを失う契機となった事件とも言えます。また結果的に巨大な財政赤字を生み出したということも考慮に入れるのであれば、米国は事件へのリアクションを誤ることで大きく衰退へと傾斜したとも言えるでしょう。
それはともかく、ニューヨークの式典は今年も厳粛に行われました。ブルームバーグ市長の強いリーダーシップのもとで、過去10年間、この9・11の追悼式では「政治的なスピーチは一切禁止」がされており、今年もこれは徹底していました。満10年を節目にして犠牲者全員の氏名読み上げは区切りをつけるのではという憶測もありましたが、今年もキチンと全員が読み上げられています。ニューヨークのローカル局は、4時間近くかかる儀式を全部中継していたということも、全く変わりはありませんでした。
この「グラウンドゼロ」には壮麗な慰霊碑ができています。旧ワールド・トレードセンターの2つのビルの立っていた場所には、そのビルの形をした正方形の池が2つ作られており、その周囲は池へと流れ落ちる滝になっている、その壮麗な滝と池が慰霊碑になっているのです。このデザインにしても、ブルームバーグ市長の「政治利用厳禁」という方針にしても、遺族の心情を考えると理解はできるのです。
先ほど、9・11はアメリカが衰退する契機になったと言いましたが、そのような「報復感情の具体化」ということに、遺族の100%が賛成したわけではないのです。アフガン戦争の緒戦の時点から、遺族の中には「報復が回答ではないはず」という声もあったのです。ですが、遺族たち自身も、「国論の分裂」は望みませんでした。まして戦争が進行し、自国の若者の犠牲が続出するようになってからは、「米兵の犠牲は何のためだったのか?」という問いをすることは、イコール戦没者の死を「無駄な死」と見ることになるという、「どこにでもある軍国主義の論理」が動く中で、アメリカは「国論分裂」から逃げ続けたのだと思います。
では、どんなに苦しくても遺族同士で報復の是非についての論戦があっても良かったのでしょうか? また毎年の追悼式にあたって、報復戦争の是非を問うようなスピーチが混じっていても良かったのでしょうか? あるいは、オバマの指揮による「ビンラディン追跡」に際して、「あいつらに憲法上の権利を保証して裁判にかけるのは絶対反対」という保守派と徹底的に論戦をしてでも「捕縛して起訴」という判断はできたのでしょうか?
そう問いかけてみると、アメリカという国、アメリカ人という人々を知ってしまった私には「それは無理だった」という答えしか返って来ないのです。理屈を越えたものとして、そのような答えにたどり着くのです。
今年の9・11は、正に「あの日」の再現のような深い青色の空が現出しました。この時期の東海岸に見られる「クリスタル・ブルー」の空です。その深い色を見ていると、11年の歳月が嘘のように思えてきます。私には、何千人という人命が一瞬のうちに失われたということと、この深い青色はどうしても結びついてしまうのです。今夜は夜に入って冷え込んできましたが、この「9月の夜寒(よさむ)」も「あの日」と全く同じです。生存者が1人でも多いことを祈りながら、多くの人が献血に行列をした「あの晩」は正に初秋の冷え込みとなったのでした。
空の青、そして夜寒と11年の年月を経ても尚、感情が揺さぶられるというのは、一種のPTSDなのかもしれません。ですが、そうした感情から自由にならなくては、「9・11以降のアメリカ史」の検証はできないように思われます。9・11の被害感情から自由になり、同時に報復行動への真摯な反省ができるようになる、それまではアメリカは「人類に普遍的な理念」のメッセージを再度発信するような存在にはなれないのだと思います。
私は、経済を立て直した「2期目のオバマ」は、そうした段階へとアメリカを進めることができるのではと思っていましたが、現在の情勢では、仮に再選されたとしても、そう簡単には行きそうもありません。
その一方で、アメリカでは9・11を知らない世代がどんどん成長して行っています。報道番組でも、若年層を意識した番組では9・11の追悼式のことは、ほとんどニュースにはなっていないのです。もしかしたら、本当にアメリカを蘇らせるのは、そのような新世代であって、オバマという人は、仮に再選されたとしても、「9・11とリーマン・ショック」の負の側面を背負ったまま、最後まで「2000年代という暗黒の10年」の負債処理で終わるのかもしれません。
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