コラム

「アフガンの米兵銃乱射事件」で窮地に立ったオバマ政権

2012年03月14日(水)11時52分

 アフガン派兵軍の米兵がアフガンの住宅に押し入り、非戦闘員に対して銃を乱射し女性や子供など16人を殺害したというニュースは、アメリカでは連日大きな扱いで報道されています。TVの各局はトップ扱い、新聞も一面トップが続いています。

 現時点での報道は、基本的には単発の犯罪だとしながらも、PTSDを発症した兵士について十分な治療もなしに戦線へ戻す中で起きた事件であり、そこには軍の構造的な問題があるというトーンの報道が大勢です。中でも、この犯人が所属していた米本土ワシントン州にある「ルイス=マコート連合基地」が事件のカギを握っているのではないかと言われています。

 この「ルイス=マコート連合基地」に関しては、CNNが軍人向けの広報紙『スターズ・アンド・ストライプス』による報道を調べたところ、PTSDに関しては285名の重症者を数える一方で、近郊のシアトル地域で乱射事件を起こしたケース、基地内での不審死などが発生しており、同紙によれば「全米で最悪の基地であり、仮に大学のキャンパスであればとっくに閉鎖されていて当然」だというのです。また多くの自殺者も出していると言います。

 アフガンでは米兵によるコーラン焼却事件が起きたばかりですが、今回の事件も含め、このような事件が頻発する背景にはこうしたPTSD兵士への対応という問題があるようです。まず、問題なのは、深刻なPTSDを負った場合でも、軍医などによる治療で「前線復帰可能レベル」まで「治癒した」と判断されると、すぐに再派兵の対象になってしまう点です。その背景には、とにかく派兵可能な兵士が少ないという事情があります。

 更に、これは具体的な報道や発表があったわけではないのですが、PTSDへの治療には相当な薬物が使われているようです。それこそ、ホイットニー・ヒューストンを死に追いやった強力な抗不安薬などが投与される中、もしかすると、副作用のために統合失調症的な症状に追い込まれる例があったのかもしれません。

 そもそも、どうして派兵された兵士がPTSDになるのかというと、勿論、戦場における死の恐怖というのがあるわけです。特に、イラクやアフガンの場合は、道路際に仕掛けられた爆弾、自動車で突っ込んでくる自爆テロなどが日常茶飯であったわけで、自身が「間一髪だった」という経験、あるいは親しい戦友が無残な最期を遂げた姿など、正に「心的外傷」そのものだと言えるでしょう。

 これに加えて、軍服を着ていないゲリラに襲われた経験があれば、地元の非戦闘員を見ただけで「襲ってくるのでは」という被害妄想が発生する、更には山岳ゲリラに襲われて局地戦でひどい敗北をした後には、地元民に対して激しい報復衝動が起きるケースもあるかもしれません。とにかく、異常な行動に追い込まれる要素は沢山あるのだと思います。

 ちなみに、今回の実行犯は「身元は厳秘」とされていますが、軍の発表によればイラクに何度も派兵されていたスナイパー(狙撃手)で、ライフルで800メートル先の敵を射殺するレベルの高度な腕を持っていたそうです。こうしたスナイパーの場合は、殺される恐怖に加えて、殺し続けたことによって心的に大きな傷を負うということもあったのではないかと思います。最近明るみに出た「アフガンでのタリバン兵遺体への侮辱事件」などでも、実行犯は米軍の優秀なスナイパーの小隊で、この場合は小隊ぐるみの犯罪でした。

 しかし、こうしたストーリーは、アメリカ側の「言い訳」に過ぎません。正規軍の軍人が明らかに非戦闘員を殺害した、しかも殺害を意図して住居を襲って大量殺戮をやってのけたというのは、アフガン人の側からすれば理解したり、受け入れる余地は全くないと思います。PTSDがどうのという「説明」は全く無意味です。

 オバマ大統領とパネッタ国防長官は、事件後すぐにアフガニスタンのカルザイ大統領に電話で弔意を示すと同時に、逮捕した実行犯への取り調べを約束しています。その一方で、実行犯の家族を「保安上の理由」により基地内で「保護」しているとも発表しています。オバマ政権は、明らかに動揺しています。

 どうしてオバマは動揺しているのか? 大きな懸念が3点あります。1つにはカルザイ政権がアメリカから完全に離反してゆくという危険、2つ目には現在進行中のタリバン穏健派との和平協議が流れてしまう危険、そして3つ目にはアメリカの国内的にアフガンからの撤兵加速論が「オバマの失敗」というニュアンスを伴って広がることです。そして、この3つについては既に兆候が出始めています。3つが1つになるとき、それは「オバマのアフガン戦略の崩壊」を意味します。

 私は、オバマの再選が危なくなるとすれば、オバマ自身が支持したエジプトやシリアの「アラブの春」の展開が大きな混乱になるケース、あるいはイランが全くコントロールできずに危機が深化するケースなどを想定していました。ですが、今回の問題は、対応は一歩間違うとこれもオバマにとっての命取りになると思います。

 では共和党はどのように出てくるのかというと、昔のタカ派の面影はありません。「反テロ戦争の大義の下で、勝つまでやる」というムードでは全くないのです。この問題に関して、共和党としては、オバマの失点を叩きながら結局はオバマ以上に「撤兵を加速せよ」という方向だと思います。

 オバマの政治的な立場ですが、2008年の選挙戦を通じてイラク戦争は批判しましたが、アフガン戦争は「反テロ」の正しい戦争だという主張で一貫してきています。その延長として、就任直後にはアフガンへの増派にも踏み切っていますし、オサマ・ビンラディンの殺害という判断も下しています。アフガン戦争はブッシュの始めた「共和党の戦争」だ、という理解は既に歴史的な過去となり、今はもう、アフガンでの失敗は100%オバマの責任になってしまうのです。政治的にこの責任問題から逃れるのは難しいと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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