コラム

「子供の期待に応える社会とは?」、オバマ演説の重たい問い

2011年01月14日(金)12時21分

 1月12日の水曜日、前週末に起きた乱射事件の追悼集会で、オバマ大統領は犠牲者の中でも特に9歳の少女、クリスティナ・グリーンさんのことを何度も取り上げて、そこへスピーチのクライマックスを持って行っていました。

I want our democracy as good as Christina imagined it.
(私はこの国のデモクラシーというものが、このクリスティーナさんが思い描いていたのと同じクオリティのものであって欲しい、そう願うものであります)

I want America to be as good as she imagined.
(アメリカという国についても同じです。彼女がそうだと思い描いていた、それと寸分たがわぬ良きアメリカでなくてはなりません)

We should do everything we can so this country lives up to our children's expectations.
(この国のありようというものが、私たちの子供たちの期待に応えられるよう、我々は考えられるあらゆる努力をするべきなのです)

 日本語はかなり意訳していますので、あくまで原文を尊重してご覧いただければと思います。それはさておき、9歳にして社会に関心を持ち、自分は児童会の委員になるとともに、地元の下院議員の辻説法を聞きに行ったという少女が、その場で精神を病んだ若者による乱射事件に巻き込まれて落命した、そうしたシチュエーションで、他にどんな言いようがあるでしょうか? まして、多くの子供達や子育て中の親世代に対して他にどんなメッセージが可能なのでしょうか?

 少女の死を政治利用している、そうした印象を与える危険は勿論あります。ですが、TVの中継画面ではクリスティーナさんの遺族もたいへんに感動しているようでしたから、結果的にスピーチとしては成功であったし、遺族への慰めということでも良かったようです。勿論、その前段にあった「この事件を対立に利用するな」とか「礼節のあるディベートが大事だ」という発言、そして頭部貫通創を負って生への帰還を闘っているギフォーズ議員が「自分が見舞った直後に初めて目を開いた」という部分など、演説にはクライマックスが沢山ありました。

 ですが、やはりこの「クリスティーナさんへの追悼」の箇所がやはり全体のピークでした。ここでのオバマは「娘を持つ父」という立場からかなりエモーショナルな表情を見せていましたが、気がつくと短く刈り込んだ頭髪には明らかに白いものが目立ち、その存在感にはある種の重みが加わっているのは明らかでした。そうは言っても「子供の期待に応える社会」というテーマは、大変に重たいものです。現代の社会には問題がたくさんあり、実情というのは素朴な子供の理想主義とはむしろ対極にあるとすら言えます。

 例えば、最近の日本で同じような事件が起きたらどうでしょうか? 「政治集会に子供を連れていくのが非常識」だとか「週末の人ごみに子供を近づかせるのは危険」というリアクションが出てくるのではないでしょうか? 例えば最近は「町内で見知らぬ大人に話しかけられたら絶対に言葉を交わしてはいけない」という教育がされ、同時に大人のマナーとしても「無用な誤解を招かないように見知らぬ子供に道を尋ねるなどの話しかけをしてはいけない」ということになっているようです。

 勿論、アメリカでも今回の事件のように危険な不審者はたくさんいるわけで、そうした問題から子供を保護するためには様々な手段が講じられているのですが、少なくとも「この社会は危険であり、問題があることを前提に行動するように」という「網羅的なメッセージ」を子供に出すようなことはしていません。オバマの発言が感動と共感を呼んだように、やはり未来を生きる子供たちには「ポジティブなメッセージ」を出すのが当然という感覚がそこにはあります。

 こういう比較論というのは「アメリカでは」的な「出羽守論」ではないかと思われるかもしれません。確かにそう受け取られても仕方がないところはあるでしょう。ですが、この問題は逃げ回って済む問題とは思えないのです。私は、ここで「日米にはボジティブ志向かネガティブ志向かという文化の違いがあり、その背景には脳内に安心や自己肯定を与えるセロトニンという物質の伝播を不活性にする遺伝子がある」などという論に深入りはしたくありません。セロトニンがどうのという議論には関心はあるのですが、先天性というよりも脳を鍛える後天的な要素の方が大きいと考えるからです。また文化について「ネガティブかポジティブか」というのは「コミュニケーションのとっかかりのスタイル」に過ぎないと思っています。

 問題は人口動態です。例えば「知らないオジサンに道を教えてはダメよ。あなたは良い子になっていい気分かもしれないけど、私は心配で夜も眠れなくなってしまうわ。あんた、ママが嫌いなの?」というような会話の例を挙げて、こうした種類の親を批判するということがあります。この種の親は自己肯定感が少なすぎて、結果的に保護よりも虐待の連鎖的なメンタリティになっている・・・というような分かったような解説をするのも可能かもしれません。ですが、これでは議論としては何も生まないと思うのです。今の日本では、子供であることや、子育て中の親であることというのは、圧倒的な少数派になってしまっているのです。そして、残念ながら危険はそこにあり、昔の社会にあった安心感はもう存在していないのです。

 勿論、子供を隔離する発想には危険判別力を訓練できなくなるという大きな欠点があるのですが、そうだとしても親の不安感の側に立たないで批判しても声は届かないのだと思います。オバマが問いかけているものの重さというのは、アメリカでは銃社会や左右対立の中で子供の期待に応えるような理想社会を目指すことの困難に他なりません。ですが、日本人としては「子供や子供のいる家庭が少数派になってしまう中での孤立感」から、どうやって親子を救うか、親子を支援してゆくのかという問題のように思ったのです。

 私は社会が出産や子育てを強制するべきだとは思いませんし、子供のない人や、子供を望まない人を批判するのも間違っていると思います。社会が最終的に達成した自身の人生に関する自己決定の権利を否定はできないからです。少子化対策は社会の体質改善を漢方薬的に続けるしかないのです。その意味で、この問題に向きあうことは長い目で見れば少子化対策なのだと思います。少なくとも「すべての人がかつては子供であった」という原点から出発して、自己肯定の好循環を再生して子供を保護し、正にオバマの言うように子供の期待に応えるような社会へと、子どもを持つ人も持たない人も一緒になって未来や次世代のことを意識するような気風、それが求められるのだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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