コラム

手放しでは喜べないLCC(格安航空会社)ブーム

2010年12月01日(水)13時19分

 それにしても、スカイマーク(BC)が総二階建てのエアバス380で6機のフリートを構成してニューヨーク、ロンドン、フランクフルトへの直行便を飛ばすというニュースには驚きました。一部報道によれば運賃は現行の大手キャリアの半額以下にするというのです。日米を頻繁に往復している私のような人間には、何と言ってもこれは魅力です。また何かと「内向きな」日本にあって、安いコストで欧米への留学や、出張、観光ができるとなれば、社会的にいい刺激にもなるでしょう。何よりも、若い人が気軽に世界を見て歩くことができ、その中でキャリアの可能性を探すことができれば、大変に素晴らしいと思います。

 ですが、この計画、手放しでは喜べないようにも思うのです。まず、LCC(ロー・コスト・キャリアー)というのは、今回発表された計画にあるような片道10時間を越える長距離路線では、ビジネスモデルとして難しいのではと思うからです。例えば、飲み物と食事の問題があります。10時間を越えるロングフライトというのは、身体的にはかなりの負荷です。まず水分をしっかり取らないと、場合によっては血栓症(エコノミークラス症候群などという言い方もあります)の危険もあるのです。ですから、水も全て有料というような扱いは不可能です。

 食事に関しても、「原則なし」にして有料提供というのは難しいと思います。10時間とか14時間(冬場のニューヨーク=東京など)というのは大変に長時間であり、食事をガマンすることで体調不良になる乗客が出るリスクは大きいからです。機内食というのは、劣悪というイメージを持つ方もいると思いますし、そうした方は「機内食が出ない分格安なら、それで良いのでは」という印象を持つかもしれません。ですが、そもそも機内食が美味ではないのは、地上のレストランやファーストフードなどとは比較にならないような衛生上の処理をしているからです。

 コールドミール(加熱しないもの)にしてもホットミール(加熱して提供されるもの)にしても、それぞれ必要に応じて厳格に冷凍もしくは冷蔵されて、必要な時点で解凍加熱して出される、その全ては「フライト中に絶対に食中毒を出さない」という思想から来ているのです。LCCだから食事は出ないし、中で買うと高いから「空弁で」というのは長くて2時間のフライトで済む国内線ではあり得ますが、10時間オーバーのフライトでは勝手に持ち込まれた食事を7時間後に劣化した状態で食べてその3時間後に腹痛などというのは困るのです。水もそうですが、長時間フライトでは機内食も「+アルファのサービス」だけではないのです。

 LCCの安さの秘密には、機材の稼働率の高さという点があります。今回発表されたように、仮にエアバス380の6機を運用して、羽田からニューヨーク、ロンドン、フランクフルトにデイリー運行をするとするとします。6機あれば、一日平均の3路線の滞空時間+寄港地滞留時間は90時間弱で、6機かける24が144時間、仮に一機が重整備中として、5機かける24が120時間と考えてもダイヤを工夫すれば機材繰りはとりあえずは大丈夫そうです。

 ただ、これは好天に恵まれ、テロ警報などの異常な状況がない場合です。では、異常事態に対するLCCの経営思想というのはどうかというと、アメリカのLCCなどでは稼働率を高めるために「ムリに飛ぶ」のかというと、そうではありません。逆に、例えば大規模な悪天候が予想される場合には、後で機材繰りが面倒になるのを避けるために、整然と早めに欠航を決定し、荒天明けのダイヤの立ち上がりに好都合な場所に機材を残す形にすることも行われています。

 今回の長距離国際線でのLCCというのも、同じことになると思います。例えば、羽田発ニューヨーク行きを飛ばそうとしたところ、目的地の13時間後の天候が悪化しそうで、最悪の場合はNY地区の3空港が閉鎖という可能性があるとします。その確率が非常に高い場合は、NH(全日空)でも欠航の判断をしますが、仮に可能性が低い場合は飛ばすこともあります。その上で、北米大陸に入ってある時点でNYまで行くのを諦めてシカゴに下ろすという場合もあります。というのは、緊急性の高い業務目的での乗客にはシカゴまで行っていれば目的地まで何とかなるという人もあるでしょうし、何と言ってもシカゴにはNHの地上職員がおり、例外的な事態でも乗客の対応が可能ですし、提携先のUA(ユナイテッド)の巨大ネットワークもあってそこからの乗り継ぎも可能だからです。

 ですが、LCCがとりあえず北米はニューヨーク線だけ飛ばすという場合は、そんなフレキシブルな体制はありませんし、何よりも飛ばして例外事態になるコストを考えると、確率の低いうちからサッサと欠航の判断をするのがセオリーです。例えば、アメリカのLCCは全てこのような思想で経営されており、今は少し改善されましたがかなり極端な経営がされています。数年前の話ですが、ゲートを離れて滑走路に出た時点で、目的地へ行って戻ってきた時点ではこのハブ空港が吹雪で閉鎖になる、従って低気圧の過ぎた翌朝の正常ダイヤ立ち上げのためには、この時点で欠航にして機材を置いておこうという判断をある会社がしました。同時に人件費をセーブするために乗務員はそこで降ろしたのですが、ゲートが空いていないので乗客はそのまま滑走路上の飛行機の中で半日カンヅメにした、そんな事件があったのです。

 国際線のLCCではそこまで極端な話は出ないでしょうが、確率は低いものの目的地空港の閉鎖の可能性がある場合は、大手よりはるかに早い時点で欠航にすることになると思います。同時にニューヨークからの戻りの便も欠航です。そして提携航空会社がないLCCの場合は、他社便振り替えサービスは基本的にはなし、足止めの宿泊代も自費という対応になるでしょう。そうした事態も「自己責任」というのは、例えばホテルのキャンセルを自分でしなくてはいけないというだけでも、乗客には負荷になると思います。そう考えると、この長距離国際線LCC構想というのは、まだまだハードルの高い話です。

 仮に、それでも東京を中心にニューヨークやロンドンとLCCが路線を開いた場合、もう一つ考えておかなくてはならない問題があります。それは、ヒトの流れは「日本から外国へ」だけではないという点です。LCCの運賃なら予算内という、これまでとは異なった層の人々が、北アメリカ、いやその先のラテンアメリカ、あるいはロンドン、フランクフルトの先にあるアフリカや中東欧、中東からどんどん押し寄せてくる、こちらの可能性も考えておく必要があります。400ドルでニューヨークから羽田に行けるということの意味は、否が応でも日本にとって移民とか外国人労働力の問題を真剣に考えなくてはならないということになるのです。

 もしかしたら、今回の発表はエアバスの深謀遠慮から来る「作戦」で、彼等は全日空や日航に巨大機購入の判断を迫るためにLCCの話を持ち出しただけなのかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story