コラム

「海保ビデオ」が「研修目的」なら、徹底した研修が必要ではないのか?

2010年11月12日(金)12時53分

 尖閣諸島海域における中国漁船の「体当たり事件」に関して、その状況を撮影したビデオが出回っています。ちなみに、この事件の解釈に関して私が納得させられたのは、次のような解説です。

「2004年の小泉政権当時の『中国活動家の魚釣島上陸事件』など、従来この地域での領土侵犯行為などには『日本の国内に適用される』法律(「国内法」)ではなく、『入国管理法違反』など国境を対象とする法律を適用しつつ国外退去処分とすることで、中国のメンツを立てながら『日本の実効支配を暗黙裡に認めさせてきた』という解釈が成立する。こうした前提に立って考えると、今回は『国内法』である『公務執行妨害』を適用することで相手に領土紛争の存在を認めさせ、ひいては『実効支配への暗黙の承認』を撤回させるよう追い込んだ、ということになる」

 例えば、東京新聞の清水美和氏などがこうした解説をしておられますが、こうした理解に立つとすれば、初動における逮捕連行に大きな問題があったということになると思います。ですが、今これを言っても全ては終わったことで取り返しはつきません。また船舶への体当たりという危険行為に関して、果たして小泉政権当時のような対応が最善手であったかどうかは断言できないと思います。そこで、今後この海域で起きうる様々な事態を想定して、多くのシナリオを検討して行かねばならないわけです。その際に私が引っかかるのは、今問題になっている「海保ビデオ」の内容です。

 1つは、「よなくに」への衝突時にカメラが衝突箇所へと動いていないということです。記録用に撮影していることから、独特の客観性が求められるような内規があるのかもしれませんが、前代未聞の体当たりという事件に際して、カメラが衝突部分に急行して被害のダメージを撮影するといった即応がされていないのは不思議です。仮に内規があるにしても、例外事態において内規以上の原理原則から即応体制が取れないのであれば、紛争エネルギーの上昇したエリア、つまり「何が起きるか分からない」海域での活動としては不十分だと思います。

 もう1つは、「みずき」が側面から衝突された際の状況です。サイレンが鳴り、中国語での停船命令と思われるアナウンスをする中、中国船は体当たりをしてくるのですが、衝突の瞬間に急に巡視船は速度を上げたようで中国船はみるみる遠ざかって行きます。艦に危険が生じた場合に、衝突回避行動に続いて全速前進で危険から遠ざかるようにするというのは、ある意味で合理的とは思いますが、衝突に際して浸水がないかなどダメージを確認するような雰囲気はありませんでした。ダメージは軽かったのだということは疑いなかったように見えます。であれば、どうして自他の艦船の損傷具合などの撮影を優先して停船しなかったのか、不思議といえば不思議です。

 勿論、ここで一旦相手方の船舶から離れたというのには理由があったと推測されます。それは、ここで相手に対する強制力を発動するかどうかについては、この巡視船には判断する権限がないからで、一旦離れて上層部の判断を仰ぐ、それがルーチンになっているのでしょう。だとすれば、とりあえず理解はできます。また、実際にその後で「逮捕劇」があったわけで、そこに到るまでの過程では指揮命令系統に乱れはなかったのだと思います。更に、その逮捕前後に関する「映像」に関しては事件性そのものであり、証拠物件として機密扱いがされるのは仕方がないと思います。そうは言っても、衝突時の映像に関しては、保安行動のあり方、ビデオの撮影方法のいずれに関しても、プロの仕事としての精度はまだまだ詰めようがあるという印象を持ちました。

 ここまで申し上げたことは、実は海保に対しては酷かもしれません。というのは、この事件の以前には日中関係は良好な状態にあったからです。この尖閣の近海にしても、事件当時には現在のように相互の艦船の一挙手一投足が問題になる雰囲気ではなかったと思われるからです。また、撮影方法について、固定した場所から撮っているだけで「肝心の部分」に迫っていないというのも、あくまで「研修目的」のビデオであり、国境係争を巡る緊張感の中での証拠収集という任務はなかったからだと思われます。

 であるならば、徹底的に「研修」を行うべきだと思うのです。研修というのは2つ考えられます。このような相手船舶の挑発行為や、危険行為に関してどのように操船してどのように警告や身柄拘束を行うのか、海上保安行動の実例として徹底的に検証がされて、その上で海保内の教材として利用すべきだと思うのです。ケンカを買うにも売るにも、売られて買わないためにも、海上保安行動の一挙手一投足にはこれまで以上の精度が求められます。ですから、石垣海上保安部だけでなく、海保の組織を挙げて徹底検証し、以降の類似事例に備えるべきです。その点から考えると、やれパスワードだとか、アクセス管理だとかいう話ばかりに流れるのには違和感を感じます。

 もう1つの「研修」は、証拠能力のある映像撮影のノウハウです。体当たりされたら、その箇所をしっかり写すとか、緊迫感を見せながら捏造批判に耐えるような工夫をするとか、電子指紋などの技術を入れて信憑性を担保するとか、GPSデータや艦船のIDなどの基本情報を写し込むようにするとか、色々なノウハウがあるはずです。乗り込んできていきなりビデオを強奪されることのないよう、複数の撮影体制を取るとか、機材の耐熱耐水性能は大丈夫かとか、リアルタイムで映像を陸上サーバに記録すべきではないか、など素人考えとしても色々な点が気になるのです。

 というのは、これからの外交は情報戦・心理戦が主流になり、映像記録はその重要なツールになるからです。こうした小さな危険行為だけでなく、万が一軍事的な先制攻撃を受けた場合にも、その被害を即座に全世界に映像で知らせる方が、報復攻撃を行うよりも軍事外交で優位に立てる可能性は十分にあります。映像が世界を動かし、映像が多くの人の生命財産を守ることにも危険にさらすことにもなる、そんな時代だからです。日本の海保に変な手出しをしたら、ガッチリ証拠映像を握られて不利になるということを思い知らせることができれば、それは1つの抑止力になるでしょう。その抑止力という観点から考えると、世論との信頼関係を前提とした情報の管理は確かに必要であり、この点において今回の「流出」を称賛することはできないと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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