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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
「子ども手当」考
民主党政権の「目玉」である「子ども手当」法案が成立しました。日本の子育てや教育の事情には色々と深刻な問題があるのですが、とにかく制度改革には時間がかかるので、即効性のある「カネ」を出すことで社会として子育てを応援するということだと思います。居住地や国籍などの支給要件の問題も色々言われていますが、とにかくやってみて、それで出生率や子育て中の家庭の満足度なり幸福度が向上すればということであり、ダメならお金だけの対策でお茶を濁すのではなく、本格的な制度改革に取り組むべきでしょう。
その改革の方向性ですが、ゆとり教育を止めるとか、英語をやれとかいうような「小手先」の話ではダメだと思うのです。どうして日本では中学以下のお子さんのいる家庭に「手当」を配らなくてはならないのか、そこには2つの問題があると思います。例えば、アメリカでは中学生以下の子供にカネがかかって大変だから少子化が進むというような現象はありません。
1つは、受験制度です。例えば、高校受験です。実質的に高校卒業というのは、日本社会では必要な資格だと思います。中卒が金の卵だというような時代は遠く過ぎ去り、最低高卒でなくては非正規の雇用もないというような言われ方をしています。そして政府は高校の実質無償化も行っています。実質的に高校というのは日本の若者には必須であり、事実上高校の義務化と全入ということが制度的には可能であり、また求められているのだと思うのです。
受験があること、受験そのものに問題があること、これも大きなテーマですが、仮に百歩譲って現在の受験制度が当面は変えられないとして、どうして「その生徒の潜在的な能力を伸ばすにふさわしい」レベルの学校に行くためには「公立校には必要な学習機会がない」のでしょう? どうして高額なカネをかけて塾に行かないと、その子供の能力を生かすような進路に進ませることができないのでしょう?
もっと言えば、どうして各主要教科の学力を伸ばす専門知識と指導技術を持った人が「経産省管轄の営利企業」である塾にはいて、公立学校にはいないのでしょう? 明治以来の日本の成長には、人材育成の成功という要素が支える面が大きかったのですが、もはや公立校にはそうした機能は期待できず、特に都市部では塾に行かないと、能力開発ができない、そのためにカネがかかるというのは教育システムが破綻しているとしか言いようがないと思います。学校と塾という2つの組織でダブルで教師を抱え、子供も両方に通うということのバカバカしさ、子ども手当の先にはその根本問題を解決すべきだと思うのです。
もう1つは、才能発掘のしくみです。小中のレベルでも、仮にそこまで十分に能力が開発されていなくても、優秀な資質を持った子供はいると思います。そうした子供が、親の経済状態のために塾に行けず、結果的に受験テクニックも身につかず上級学校に行くコスト負担もできないまま放置されるのは人材のムダとしか言いようがありません。才能を発掘して、そこに資金を投じてゆく、具体的には能力に見合った給付型奨学金を用意するシステムがもっともっと整備されるべきだと思います。
学校と塾の二重生活・二重出費を強いられる、才能があっても親のカネがなければ社会から見捨てられる、この2つの問題(他にもありますが)について「改革に時間がかかる」ことから、あくまで緊急避難的な措置として取られているのが「子ども手当」だと言えるでしょう。その意味で、確かに居住地基準など「制度のバカバカしさの被害に遭っているかどうか?」で支給を見直すことは必要かもしれません。ですが、そんな面倒なことをするぐらいなら、本当に教育の改革をした方が手っ取り早いかもしれない、そんな風にも思うのです。
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