コラム

「スシ文化」のソフトパワー防衛戦略

2010年03月29日(月)11時25分

 先週末から日本に来ていますが、今回私が驚かされたのは、クロマグロの禁輸問題に関する議論です。どうやら、そこには対立軸があるようで、それは、禁輸を阻止できたのは中国がアフリカ票などと共に一斉に反対に回ったためであり「中国様々」なのか、それとも赤松農水相以下の民主党政権の外交成果なのか、という「対決軸」があるようなのです。仮に「中国のおかげ」だとして、そのように「中国ルール」に飲み込まれていくのは怖いと考えるのか、別に良いじゃないかと考えるかという分裂もあるようで、都合3つの解釈があることになります。

 私が驚いたのは危機感のなさでした。今日現在「スシ」に代表される日本の食文化は、欧米、例えばアメリカではブームが続いています。食文化だけでなく、マンガやアニメ、テクノロジーといった「クールジャパン」への好意的な視線も、決して衰えてはいません。ですが、このまま放置しておけば、クジラにイルカ、政治の停滞、家電でのシェア喪失など、日本に関する個別のネガティブ情報の集積として、そうした「日本ブーム」が消えていく可能性があります。

 その中でも、クロマグロの問題は「スシ文化」の中核にあるだけに、非常に扱いが難しいように思います。一歩間違えば、全米の「スシブーム」が一気に冷え込む危険を秘めているからです。私はこのことはかなり危険なことだと思いますが、もしかしたら世論の中には「それはそれで結構だ。そもそも全世界のマグロ消費量が減った方が、日本の消費量は確保できる。第一、変なガイジンが築地で我が物顔に観光していたのはウルサかったし、日本に対してエキゾチックに興味を持たれても嬉しくも何ともない」という空気があるのかもしれません。

 ですが、寿司ブームが終わるというのは、仮にそうなったとしたら日本社会にとっては大きな損失だと思うのです。日本への観光客も減るでしょうし、在外日本人・日系人などでフード・ビジネスに関わっておられる人々は打撃を受けるでしょう。それだけではなく、日本国外で日本の食文化への尊敬が消えれば、ビジネスで海外に出張したり、赴任したりした人が、各国の文化の中に入っていきながら、日本文化について紹介してゆく貴重なツールがなくなることになります。

 それ以前の話として、今日現在これだけの影響力を持っている「日本の食」というソフトパワーを失うことは、広義の日本の国力の低下をもたらします。放置してはならないことです。また、この問題は日本の「対外アイデンティティー」の混乱にもつながります。「寿司という健康食の文化」が「環境や自然保護という国是」に重なり、それが宮崎アニメやエコカー文化と重なってくる形で、日本のソフトパワーがビジネスの成果につながっていく仕組みがあるのですが、それが失われることにもなります。

 私は「中国ルール」に依存して、欧米に対抗して「クロマグロ規制の先延ばし」を続けるのは非常に危険なように思います。その結果として文化摩擦が拡大し、マグロが食べられなかったり、通商関係全般に影響が出るのが怖いのではありません。それ以上に「絶滅危険動物への冷酷な態度を取る国」というイメージが一人歩きすることで、日本が必死に打ち出そうととしている環境イメージとの分裂が起きる、そして欧米から「日本叩き」ではなく「日本への関心の急激な低下」が起きるのが怖いのです。

 このまま流れに任せておけば、海外の寿司店で「気がついたら客足が遠のいていた」、あるいは日本国内では「折角インフラを整備したのに外国人観光客が伸びない」という状況に追い込まれる危険性は十分にあります。いつのまにか、宮崎アニメや日本のエコカー技術への国際的な関心が消えてしまう、そんな展開もあり得ます。クロマグロに関しては、本当に目に見える形での資源管理をしっかり行うべきですし、寿司文化の中にもマグロを中核に据えるのではなく、代替品や他の魚、あるいは野菜料理などに巧妙にシフトする中で「寿司文化のマグロ依存」からの脱却を模索する必要もあるでしょう。

 それでも、海外のそれぞれの寿司店での努力には限界があります。やはり、イルカやクジラなどの問題も含めて、もう少しケンカ腰ではない方法で、資源管理の説得力ある体制を組むことが必要だと思います。寿司ブームの今後に関しては、そんなわけで楽観は許されないのではないでしょうか。少なくとも「中国ルール」に乗っかって禁輸がストップできた、などと喜んでいる場合ではないと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story