コラム

クジラ、イルカ問題の難しいスタンス

2010年03月10日(水)11時57分

 アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門で『ザ・コーブ』という、日本の和歌山県におけるイルカ漁を告発した作品が受賞してしまいました。昨今のオーストラリアとニュージーランドとの間で起きている「調査捕鯨論争」と併せると、どうにも頭の痛い問題です。ちなみに、南極海の捕鯨問題に関しては、元来仲の悪いオージーとNZという両国が連動しているというのは、問題が深刻な証拠としなくてはならないでしょう。

 この問題は日本にとっては「文化多元論」、つまり欧米の価値観を唯一至上とする一種の原理主義から自由になるという立場からの正当性があると思います。文化が異なれば食の嗜好も、そのための殺戮ということへの禁忌の解除も様々な多様性を持つのは当然だという立場です。いわば、ポストモダンと言いますか、後期近代という考え方の枠組みに立って正当性が主張できると思います。

 以上が、思想的スタンスですが、では現実の外交や国際世論対策ということについては、こちらは別になるように思います。結論は単純です。いかに「華麗にスルー」するか、それしかないのです。

 普天間やトヨタの問題、核密約の問題など、日米の間に刺さった課題に加えてこの問題がシンクロしてくると厄介だ、漠然とそんな感触もあるのですが、冷静に考えると、こちらはちょっと非現実的です。トヨタの問題の進行プロセスにも見られるように、日米の政治経済における実務プロセスは、たいへんに成熟したものです。短期的には、文化摩擦から来る差別意識のようなものが、実務的な問題解決に影を落とす可能性は軽微だと思います。

 私が心配しているのは、そうではなくて中長期の米中関係です。仮に、このまま米中が経済や軍事の「にらみ合い」から、思想や文化の対立に進んでいくとしたとき、アメリカの対中イメージとしては「粗暴で不安定」という危機感が拡大していくと思うのです。平和的なダライ・ラマのアプローチに対する中国の反応、グーグル問題に見られる価値観の相違など、様々なフラストレーションが重なっていくことで、中国というのは粗暴で不安定だという認識がある臨界点を越えていきますと、米中の関係は一気に冷え込んでゆく可能性もあると思います。

 その際に、イルカやクジラに「こだわりすぎる」と、アメリカから見て日本と中国が「同じように粗暴で不安定だ」というイメージになって行く、中期的にはそのような可能性があるように思います。現時点では、アメリカ人にとって、日本文化のイメージはたいへんに良好ですが、仮に中国のイメージが悪化する中で、日米関係が冷え込み、日中が接近するようですと、日中が「個の尊厳や公正な社会システムに関心のない野蛮な文化」ということで、同一視されていく危険があるように思うのです。

 例えば、昨年から今年のオスカーに関して言えば、中国の娯楽大作『レッドクリフ』の名前は一切出てきていません。私はこの作品は「面白すぎる」ほど良くできているので、アメリカ人の中国文化への関心を広める効果があると期待していたのですが、全くダメでした。『アバター』にスクリーンを取られて限定公開しかできなかったという要因はあるものの、現時点での興行収入は60万ドル(5400万円)に過ぎず、今月末にはブルーレイが25ドルで発売になる、つまり完全に無視された格好なのです。

 その背景にあるのは恐怖感だと思います。中国という国は、昔からあんなスケールで戦争を繰り返してきた、その粗暴さが怖い、その感覚です。イルカやクジラの問題に関しても、日本では「粗暴な欧米」が人種差別的な「見下した姿勢」で自分たちの文化を否定にかかっている、そうしたイメージで捉えられています。実際に悪名高いアニマル・プラネットというTVチャネルの『鯨戦争』というドキュメンタリーを見ると、「かわいそうなクジラ」が血を流しながら「日本の巨大な捕鯨船」に引き上げられゆく「悲劇」を「シーシェパード」の女性乗組員が涙を流しながら見ているという演出がされているのです。

 海上保安庁の巡視船に守られた捕鯨船というのは、巨大であり、無言の暴虐、自分たちは「弱い」小さな存在だが必死に頑張っている、そうしたイメージです。わざわざ小さな船で捕鯨船に体当たりして、自分の船が沈んだと騒いでいるのも「小さな正義が強大な悪と戦っている」というマンガのようなヒロイズムに陶酔するための演出なのです。

 いずれにしても、この種のケンカは買ってはいけません。イルカの話は「いつの間にか」なかったことにし、南極海の捕鯨も「5年」というモラトリアムの話もあることですし、そのぐらいのスパンで気がついたら過去の話にできればと思うのです。クロマグロの話について言えば、このクジラの例を教訓にすべきです。さっさとアメリカの「寿司好き」と共同歩調で、「絶滅種」から「代替品」にサッと移行して「寿司ブーム」に水を差さないようにすべきだと思うのです。

 いずれにしても、この種類の「文化摩擦」というのは意外にタチが悪いので「華麗にスルー」が最善だと思います。このぐらいの「反抗」はナショナリズムのガス抜きに丁度いいという見方もありますが、こっちが「ささやかな抵抗」だと思っていることが、向こう側では「巨大な暴虐」に映っているのであって、そのすれ違いはかなり危険です。ガス抜きのつもりが、ガス漏れから大爆発などというのでは笑い事ではなくなります。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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