コラム

オバマの平和賞演説を帳消しにする映画『ブラザーズ』の闇

2009年12月14日(月)15時33分

 それにしても、オバマのノーベル平和賞受賞スピーチは手の込んだ内容でした。「戦争は悲劇をもたらすが、必要な戦争はある」と言ってのけ、人類の歴史につきまとってきたパラドックスを自分が背負っていると宣言した内容は、ある種の迫力を持っていました。世界からの「オバマが平和を実現してくれる」という期待感と、アメリカの保守派による「オバマがアメリカを守ってくれなかったら許さない」という冷淡な視線、そんな相反するセンチメントを「自分は分かっている」という一種の居直りとも言える内容です。とはいえ、とりあえず「時期尚早と言われ続けた平和賞」という「窮地」はとりあえず「しのいだ」という格好になりました。

 このオバマの「平和賞受賞」にタイミングを合わせるように、アメリカでは1本の映画が公開されています。時節柄、年明けのオスカーを意識した「文芸もの」の第1弾というには、余りにも重苦しい作品です。この映画は『ブラザーズ』といって、アイルランド出身の監督ジム・シェリダン(『ボクサー』『イン・アメリカ〜三つの小さな願いごと』)が、トビー・マグワイア、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ギレンホールという役者を揃えて撮ったものです。

(筆者注)以降は、いわゆる「ネタバレ」を含みます。この映画は、本当は何の事前情報もなく鑑賞すべき種類の作品だと思います。ですが、既に予告編でかなりの背景説明がされていること、暴力シーンの質と内容を全く知らないで見てショックを受ける方が出るのは避けるべきということ、社会的な意義が大きいために事前に内容を説明した上での紹介が求められること、という理由からご理解いただければと思います。また、本作はデンマーク映画のリメイクなのですが、私はオリジナルを未見ですので、比較論はなしということでご理解ください。

 マグワイアが演ずるのは海兵隊の大尉でアフガニスタンに2度目の派兵をされるのですが、その直前にギレンホール演ずる弟が、刑務所から出てきます。優秀な軍人の兄が不在の間に、一家の「鼻つまみ者」の弟はその留守宅に上がりこむようになります。やがてマグワイアの妻(ポートマン)と2人の幼い娘にマグワイアが戦死したという知らせが届きます。その悲しみを受け止めるる中で、母娘は夫の弟とやや親密な関係へと移行するのですが、実はマグワイアは生存していたのです。生存していたマグワイアの帰還は一家に取って嬉しいサプライズのはずがそうではありませんでした。マグワイアはアフガンで九死に一生を得てきたのですが、その経験が彼をメンタルな面で追い詰めており、一家はそのために悲劇へと向かっていく・・・そんなストーリーです。

 この作品は、シェリダン監督にとって1つの集大成と言って良いでしょう。というのは、『イン・アメリカ〜三つの小さな願いごと』で描いた小さな子供のいる家族の心理ドラマ、そして『ボクサー』の持っていた北アイルランドの血で血を洗う抗争の悲惨、その2つの要素を重ね合わせた作りになっているからです。再三にわたって「ネタバレ」となり恐縮ですが、この『ブラザーズ』のテーマは「捕虜虐待」です。この「捕虜虐待」という行為が、いかに人間性を破壊してゆくかのか、それをアフガニスタンという現場における悲惨だけでなく、遠く離れた兵士の故郷であるアメリカで悲劇を生んでいく様子を描いて、観客に戦争の現実と向かい合わせる、そんな効果をもった作品です。

 ストーリーは簡潔なのですが、とにかく3人の役者さんの「アンサンブル」が素晴らしく、マクガイヤは全くスパイダーマンの面影はなく思いつめた軍人の役に没入していましたし、ポートマンは中西部の軍人の妻になり切っていました。演技のテクニカルな面として特に素晴らしかったのはギレンホールです。彼の存在感がうまく観客の視点を引きつけるので、見るものは「弟」の視点からマクガイヤの演ずる悲劇を痛切な形で体験させられる仕掛けになっています。ちなみに、ギレンホール自身は、サム・メンデス監督の『ジャーヘッド』という作品で帰還兵を演じているので、それと「対になる」演技とも言えます。

 そのマクガイヤの演ずる悲劇というのは、殺される恐怖であり、殺すことの戦慄であり、その結果としての破滅衝動であり、それが映画のクライマックスでは観客の精神をズタズタに引き裂くのです。オバマ大統領は「平和賞」の受諾スピーチで、兵士の中には人を殺める者もいるだろうし、命を落す者もいるだろう、だが自分はその責任を引き受ける、というようなことを言っています。ですが、マクガイヤの演技は、そのオバマの「分かったような責任感」を吹き飛ばす迫力がありました。勿論、それとても役者の演技という虚構に他ならず、実際の惨劇はまた更に次元の違うものなのでしょう。

 この『ブラザーズ』ですが、このような思い詰めた心理劇であるにも関わらず、そして予告編でほとんど内容を「バラして」しまっているにも関わらず、公開2週で1740万ドルという異例のヒットになっています。では、人々は「アフガンの惨劇」を告発するような気持ちでこの映画を見ているのでしょうか? この映画の成功はそのままオバマ批判のセンチメントになっていくのでしょうか?

 必ずしもそうではないようです。人々は、本当に静かにこうした映画と向き合い、そして実際にアフガンの地で、また帰還兵やその家族に起きているであろう悲劇に思いを馳せているのです。その不思議な冷静さは、もしかしたらオバマを静かに支持しているのかもしれませんが、ある臨界点を越えた場合は厳しい批判票にも化ける可能性も持っていると思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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