コラム

ウォルター・クロンカイトの死

2009年07月22日(水)10時00分

 往年の名ニュースキャスター、ウォルター・クロンカイトの死はメディアでは大きく取り上げられています。7月17日に92歳での死去、しかも81年の引退後28年を経ての訃報にも関わらずたいへんに大きな扱いです。そうは言っても、CBSの『イブニングニュース』が高視聴率を挙げて、全米に影響力を持ったといっても過去のことであり、例えばクロンカイトが引退した81年というのは、レーガン大統領が就任した直後という昔です。

 その時にはオバマ大統領はまだ20歳だったことを思うと、同時代性という点から見てこの死去報道にはそれほどの意味があるとも思えないのですが、やはり「巨星墜つ」という印象があるようです。例えば現在の『CBSイブニングニュース』のアンカーパーソンを務めるケイティ・コリック女史は「自分が就任するにあたって、クロンカイトからアドバイスをもらった」ということで、各局のニュース番組からインタビューが殺到しています。

 例えば、クロンカイトが現役だった時代の『イブニングニュース』はたいへんな視聴率を誇り、月曜から金曜まで毎晩2200万人が視聴していたというのです。実際にクロンカイトの自伝『レポーターズ・ライフ(一報道記者の半生)』では、扉のところに「2200万人の視聴者に捧ぐ」とあるのですから、大したものと言えます。現在のTV界の人々から見れば「オバケ番組」であり、「そんな高視聴率が取れれば良いな」
と憧れてみたり「さぞかしクロンカイトはすごかったんだろう」という想像を巡らしたりということになるのは当然です。

 勿論、時代が違いますし、TVというメディアの位置づけも変わりました。クロンカイトの全盛期は、地上波オンリーの時代であり、基本的にアメリカのメジャーなTVのチャンネルは3つしかなかったのです。NBC、ABC、CBSのいわゆる「3大ネットワーク」です。その後、ケーブルや衛星放送、更には光ファイバーによるIPテレビが普及し、テレビ事情は一変しました。CNNをはじめとするケーブルのニュース専門局、ESPNなどのスポーツ専門局が分化するとともに、2000万人が同じニュースを見るなどということはあり得なくなったのです。

 更に時代は下り、今はインターネットと携帯電話による、マスのコミュニケーションと個人のコミュニケーションが時代を動かすようになりました。それでも人々がクロンカイトの死に感慨を抱くのはどうしてなのでしょう? それは、全米が尊敬できる「1人の人物」という存在が欲しいというカリスマ期待論があるからであり、同時に「多くの人が納得できる中道主義が活力を持って欲しい」という願望があるからだと
思います。

 それは、オバマという異色の才能を大統領に押し上げた世論の感情と共通のものがあると思います。カリスマであり、同時に現実的で冷静な中道主義者、そして何よりも当意即妙のコミュニケーション能力を持つ人物、アメリカン・ヒーローの1つの典型と言ってしまえばそれまでですが、時代を経てもこの点は変わらないようです。そう考えると、クロンカイトの記憶がアメリカ人にとって大事にされるというのも納得できるものがあるのです。

 クロンカイトは自伝『レポーターズ・ライフ』の締めくくりの部分でTVジャーナリズムに対して警鐘を鳴らしています。「テレビのために新聞を読まない人間が増えて、人々の知的水準を押し下げたとしたら問題だ」として、健全なジャーナリズムは質の高い新聞によって維持されるべきだと述べています。その言い方自体は、今ではもう過去に属するとしか言いようがありませんが、TVの世界で成功を収めてなお、このような反省を述べる気骨を人々は愛したのでした。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

原油先物、週間で4カ月半ぶり下落率に トランプ関税

ビジネス

クシュタール、米当局の買収承認得るための道筋をセブ

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた

ワールド

トルコ中銀が2.5%利下げ、インフレ鈍化で 先行き
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 5
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 6
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story