コラム

マイケル死去のウラで進行していたカリフォルニアの財政危機

2009年07月15日(水)12時29分

 6月25日の死から7月7日の追悼式まで、マイケル・ジャクソンのニュースがアメリカのメディアを席巻していた期間、本来なら大きく取り上げられて良いニュースが沢山ありました。サミットしかり、ウイグルでの暴動しかり、多くの事件がマイケル死去報道の影にかすんでしまっていたのです。その中には他でもないカリフォルニアの財政危機問題も入っています。

 カリフォルニア州の財政は危機が続いています。そもそも現職のシュワルツェネッガー知事が就任するに至った2003年の選挙自体が、この問題に端を発したものでした。カリフォルニアは20世紀末のクリントン政権下にシリコンバレーを中心に「IT革命」の中心地として大変な繁栄を謳歌しました。当時のデービス知事(民主)は景気のおかげで税収が伸び、歳入超過になるごとに減税を行っていったのです。

 ところが2000年に「ドットコム・バブル」が弾けたことと、これに続く電力危機などで州財政は一気に悪化しました。通常でしたらここで税収を確保するために増税なり、歳出削減を行わなければならないのですが、デービス前知事の判断ミスがあっただけでなく、大きな制度変更は住民投票にかけなくてはならないというカリフォルニア独特のシステムのために、住民への不利益変更が決断できず財政は坂道を転がり落ちていったのです。

 その結果として、デービス前知事はリコールされてしまい、その「出直し選挙」で俳優であったシュワルツェネッガー知事が就任しました。ですが、2006年には55%の得票率で再選もされた現知事の様々な施策にも関わらず、今回の「サブプライム」問題に端を発する金融危機と世界同時不況は、ボロボロだったカリフォルニア州財政に更に打撃を与えたのでした。

 そんな中、州政府のジョン・チャング出納役は6月24日に州都サクラメントで会見し、財政収支の劇的な改善がない限り7月2日から州政府は様々な支払いを「レジスタード・ワラント」で行わざるを得なくなる、そう発表したのです。この「レジスタード・ワラント」というのは現物の写真を見ると一見すると「州発行の小切手」に似ているのですが、小切手ではありません。公債の債券に似ていますが、条件設定はそれほど厳密なものでもありません。

 償還日は決められています。それは3カ月後、つまり2009年の7月2日から発行される一連の「レジスタード・ワラント」は2009年の10月2日にならないと換金できないのです。チャング出納役は「資金繰りが改善すれば繰り上げ償還にも応ずる」と言っていますが、どうなるかは分かりません。ちなみに、この「レジスタード・ワラント」のことは 「IOU(アイ・オウ・ユー=私はあなたに借りがある)」というニックネームで呼ばれています。つまり私的な借金の証文というようなニュアンスです。

 さて、このIOUですが、誰が受け取るのかというと、州憲法の規定により教育関係者と、負債の償還には使えないそうで、それ以外の公務員への給与、州民への税還付、納入業者への支払いなどは全てIOUになるのだそうです。ちなみに、年利3.75%で金利がつくことになっています。ではIOUは即時換金できないのかというと、そうではなく一部の銀行では可能なはずだったのですが、その後「危険?」と見た多くの大手銀行が換金業務を拒否し始めています。

 1994年にカリフォルニア州のオレンジ郡政府が突如破産した悪夢の記憶はまだ多くの人に新しいところですが、まさにカリフォルニア州は破産寸前の崖っぷちに立たされていることになります。アメリカでは経済ニュースのCNBCなどが「今日から○○銀行はIOUの換金をストップ」などと毎日速報しています。仮に州が破綻すれば、このIOUは紙切れになる危険があるのです。現時点では、超党派の州議会と知事だけでなく、財界も参加して必死になってリストラ案を作っているのですが、一寸先は闇という状態のようです。

 私のように東海岸に住んでいる人間から見るとカリフォルニアというのは、全く別の国です。アメリカが民主主義や大衆社会の実験国家だとしたら、カリフォルニアはその中でも最先端の社会的実験をおこなっている、そんなイメージもあります。実験をし続けるということは、極端な光の面(住民投票、マイケルのヒューマニズム、ハリウッドの文化、人種差別なきサブプライムローン、IT革命)を生み出すと同時に、深い闇の面(財政危機、マイケルを死に追いやった孤独、バブル崩壊の痛み)を浮き彫りにすることにもなります。

 かつてイーグルスがそのカリフォルニアを「一度入ったら出られないホテル」にたとえたように、このGDP世界第10位(2007年のCIAのデータによる)の巨大州は、まばゆいばかりの光と底知れぬ闇を抱えながらグルグル回り続けているのです。そんな中で、社会的実験のようなIOUの発行告知や発行開始が、マイケル死去報道にかき消される中で静かに始まったというのは偶然ではないようにも思えます。青い印刷のされた用紙にコンピュータで金額の印字されたIOUは、まるで「ネバーランド」の中でだけ通用するオモチャの紙幣のようです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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