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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
対立軸なき「臓器移植法案」に見る日本政治の希望
日本では鳩山総務相の更迭から政局がめまぐるしく動きだし、早期解散説から、麻生退陣説まで様々な報道が飛び交っています。そうした報道、そして人々の声には「日本のリーダーシップ不足」であるとか「政治後進国」という自国を卑下するようなニュアンスが伴っているようです。確かに政権交代の可能性が濃厚であっても、政策の対立軸は曖昧なままでは不安感が出てくるのは仕方ありません。
例えば「臓器移植法」でとりあえず衆院でA案(臓器の提供条件を最も緩和する案)が通りました。この問題はどうでしょう。党議拘束もなく、特に自民・民主・公明など多くの政党では自由投票になったのです。漠然と医療技術で生命を救うという「進歩」にまだ希望を持っている人はA案賛成、死の定義変更とそこに絡むドナー候補家族の苦痛に心情移入するタイプの有権者を抱えている人は反対というニュアンスの違いはあるようです。ですが、これと改革か守旧かという対立は直接は関係がないようです。これも一見すると「対立軸のなさ=政治の脆弱」に見えます。
確かにアメリカの場合は、対立軸があります。こうした死生観に関わる制度改定が進む場合は、必ずといって良いほど「民主党・共和党のイデオロギー闘争」になります。勿論、両党の対立軸には柔軟な面もあり、妥協や合意への仕組みも一応はできていますが、その背景には、宗教保守派と政教分離的な感性を持つリベラルの対立があります。決めやすいと言えば決めやすいのですが、発想法は単純なものです。
では、そうしたイデオロギー論争を持たない日本という国は「政治後進国」なのでしょうか? 二大政党の対立が成熟し、オバマ大統領を生み出したアメリカに比べて、日本の民主主義は不十分なのでしょうか? 理念が機能せず、感情的なポピュリズムとそれを利用する政治家によって、折角実現した日本の近代は前近代に引きずり戻されようとしているのでしょうか? やがて、感情論の対立からイランのような暴動が起きる中、開発独裁ならぬ「縮小独裁」に陥ってマイナスのスパイラルを転落してゆくだけなのでしょうか?
私の答えは明確です。日本は政治後進国でも何でもありません。こうした「負のシナリオ」は全く非現実的と言って良いと思います。今回の臓器移植法に対する報道や世論のムード、そして党議拘束の外された中で国会が決定の意志を持ったことには希望を感じます。硬直化した二大政党のイデオロギー闘争の枠組や、まして暴力を伴う騒乱に比べれば、日本政治にあるのは成熟だと思います。
臓器移植法の落としどころについても、何となく日本社会は理解し始めているように思います。それは価値観の共通化は不可能という前提で、自己決定権を拡大すること、選択の機会を提供すること、それだけではありません。恐らくその先には、価値観の異なる人々が相互に相手を認め合う、つまり相対化された複数の価値観が共存する社会が可能なのだと思います。
今回の臓器移植法の報道に見られた「どちらの立場にも一理あり」という姿勢、双方の心の声に耳を傾ける態度が多くの問題にも適用されるようになり、現実に根ざした精緻な議論と、複数の価値観の共存する中での意志決定システムが出来ていけば、政治も動き出すでしょう。仮にそれが実現できるのであれば、それは、アメリカでもイランでも考えられないような先進的な社会なのだと思います。
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