コラム

アメリカのインフル対策は秋冬が焦点

2009年05月13日(水)12時27分

 アメリカでの新型インフルエンザ報道は、5月に入ってめっきり落ち着いてきました。政府や地方自治体の対応も、学校の休校措置を緩めるなど、多くの感染者を出しているにも関わらず平静さが目立ちます。

 では、アメリカ社会がこの新型インフルエンザを甘く見ているのかというと決してそうではありません。

 オバマ政権としては「対インフルエンザ対策」という点では、今年の、つまり2009年から2010年にかけての秋冬のシーズンに照準を合わせているのです。例えば、4月末にメキシコにおける大規模な感染が報じられたごく早い時期に、アメリカのCDC(疾病予防センター)のベッサー副所長代理は毎日TVでの定例会見を行っていましたが、その際に「ワクチンの開発をどうするか、悩んでいる」ということをずっと言い続けていました。

 今から考えれば、これだけ世界を揺るがしているH1N1ウィルスについて、どうしてワクチン開発の方向性について悩む必要があったのかというと、そこには2つの事情がありました。

 まず今回の新インフルエンザ(H1N1)が脅威であるからといって、季節性のインフルエンザのワクチン製造能力をこの新型ウイルスのワクチン製造に振り向けても良いのかという問題があります。鳥インフルエンザ(H5N1)に関しても、流行の端緒が発見されれば直ちにワクチンの開発を行わなくてはなりません。ですから限られた生産能力のどれだけをH1N1のワクチン製造に振り向けて良いのか、簡単には決定ができなかったのです。

 その背景には、まず2004ー2005年のシーズンに起きたインフルエンザ・ワクチンの不足によるパニックの経験があります。この年はSARS流行の記憶が薄れていない時期にも関わらず、英国の工場で大規模に不良品が発生したためワクチン不足が社会問題化しました。この経験を踏まえて、アメリカ政府はワクチンの製造体制に関して非常に神経を使っているのです。

 結果的にオバマ政権はWHOとの協議を経て、H1N1のワクチンの大規模な生産に踏み切りました。

 では、このH1N1について、現時点では弱毒性という評価があるにも関わらず、どうしてワクチンの大量製造に踏み切ったのかというと、そこには具体的な理由があるようです。

 これから秋から冬を迎える南半球での流行の可能性を考えると北半球の夏の間に流行を根絶することは難しいこと、万が一鳥インフルエンザ(H5N1)やSARSなどの深刻な呼吸器感染症が同時に流行した場合は見分けがつかず危険が増すこと、このような要素を踏まえて、今回のH1N1の感染力が比較的強いことを考慮した結果、やはりワクチンを全力で製造する方向になったというのです。WHOとしては、医療体制の脆弱な途上国へ十分なワクチン供給を行って流行を抑制しようという判断があり、これとも同調した形となっています。

 季節性のワクチン製造も含めた体制も、各メーカーで整ってきているようで、アメリカではこの秋にH1N1の予防接種を2回、通常の季節性のワクチンを1回の計3回の接種をすることになるという見方も出てきています。絶大な人気を誇る大統領にあやかって、「オバマ大統領はアメリカ人全員にこの秋、3回の接種を推奨へ」というような記事も見られます。

 これもオバマ流の危機管理の一つと言えます。勿論、これで全てが上手くいくかは実際に秋冬のシーズンになってみないと分かりませんが、アメリカ社会としては、とりあえずこの方針を信じて平静を保っているのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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