コラム

失業率8.9%と戦うアメリカ人

2009年05月29日(金)12時34分

 世界同時不況が続く中、アメリカの失業率は8.9%という水準に達し、ここ25年間で最悪という状況です。8.9%というと91%の人の雇用は安泰という風に見えますが、実際は昨年秋以来の金融危機の影響で一旦解雇され、後に再就職をした人も多いわけで、正にアメリカの雇用は激動していると言って良いでしょう。

 再就職が多いと言いましたが、意外なことに企業の採用活動は活発です。勿論、多くの企業でリストラの嵐が吹き荒れているのですが、とりあえず破綻の危険のない企業の場合は、要員の削減そのものはそれほど行われてはいません。例えば金融機関で4000人の解雇をするという場合、支店の統廃合や部門の廃止といったケースは別ですが、それ以外の人間の必要なポジションについて言えば、給与の高い人を解雇して安い人を採用するということが行われているからです。

 また事業を拡大している企業の場合は、「優秀な人材が労働市場にたくさん出ている」から今がチャンスとばかりに採用に力を入れているということもあります。そんなわけで、全国では今、ジョブフェアといって求人をしている企業と求職中の人の「出会い」を生むイベントが毎週末に行われている状態です。専門の業者がいくつかあって、インターネットで求職と求人を募り、ホテルの宴会場や体育館などで「集団面接」を行うのですが、この業界は活況を呈しているのです。  

 転職や再就職というと、アメリカではレジメ(履歴書)が非常にモノを言うのですが、最近はそこに「自分の履歴を全部書かない」人が増えているという報道もあります。主として、過去に企業などで高い地位にあったとか、博士号を持っているというようなヒストリー(履歴)は通常では良い仕事を獲得するための「武器」になるのですが、これまでのキャリアとは違う仕事で面接を受ける場合には「オーバークオリファイド(格が高すぎる)」として不採用になる危険があります。これを避けるために「能ある鷹は爪を隠す」というわけで、職歴や学歴を隠す人が多いのだそうです。

 例えば単純な事務職に応募した人の履歴書に「投資銀行で国際M&Aに従事」などとあっては、百害あって一利なしだというのです。求人情報会社などでは「その仕事に役立つ履歴以外はできるだけ書かないように」というアドバイスをするケースもあるようです。ちなみに、日本ではこうした行為は「経歴詐称」だとされてしまいますが、アメリカの場合は、就職時には「その仕事ができることの証拠」を見せるだけで良く、また選考に際してそれ以外の経歴は一切考慮してはいけないので、履歴書に書く必要がないのです。

 最近はIT分野を中心に「ノータイ」がかなり定着してきたアメリカですが、こうした就職面接の際には、男性はネクタイをした方が良いと言うことで、昨年の11月頃、金融危機の「先が見えない」時期にも紳士服店のスーツやネクタイはよく売れていたという報道がありました。最近、熟年男性向けの「白髪染め」のTVコマーシャルでも、求職ネタのものが良く放送されています。求職活動中の「お父さん」に対して、中学生ぐらいの娘が「お父さんもこれが必要よ」とそっと「白髪染め」を差し出す、そのお父さんは実際にその効果で採用されて帰ってくるのですが、すると、娘が「良かったね」とお父さんを抱きしめるというような演出で、通常の感覚ですと何とも気恥ずかしい感じがあるストーリーです。

 それでも今は、決してそれが不自然に見えないのです。それぐらい求職中の人がファッションに気を遣うというのは「当たり前」の光景になっているとも言えます。この感覚は、女性も同じらしく、例えば上に述べた「ジョブフェア」のイベントでは、化粧品会社がスポンサーになって、働く女性用の化粧品のサンプルを配っていたりもするのです。

 そんなわけで、全体の景気は厳しい一方で、中途採用市場は活況を呈している、という状況なのですが、これは大学を卒業したばかりの「新卒」の人にはどういう影響があるのでしょうか。勿論、基本的には厳しいことには変わりません。新卒一括採用のないアメリカでは、初級フルタイムの職(エントリーレベル)を、新卒と既卒、中途が奪い合う構造があるからです。また金融やメディア関連など、管理職以上で高収入の見込まれる職種では、無給のインターンを採用して、実際の仕事ぶりを見ながら選抜するということもどんどん広がっています。有名企業の場合は、そのインターンにもぐり込むのも大変です。

 ただ、一部には「今年の新卒(の就職状況)は最悪ではない」という声もあります。高給のポジションがリストラされて、エントリーレベルの職種が増えている業種があるということと、今のうちに優秀な若者を囲い込もうという企業があるからです。逆に危機感を持っているのは、来年2010年に大学を卒業する大学生の方だそうです。「今年の後半に景気が回復すると、今は求職中の経験者がどんどん主要なポストに採用されてしまい、玉突き式に新卒の割り込む余地がなくなるのでは」というのが、彼等の不安要因なのだそうです。

 そんなわけで、新卒一括採用も終身雇用もなく、解雇の危険と隣り合わせなのがアメリカの雇用なのですが、それでもアメリカ人が頑張れるのは「セカンドチャンスを与える社会」ということ、特に「年齢や性別など能力以外で差別されることはない」という制度への信頼感があるからだと思います。(この問題は、『アメリカモデルの終焉』〔東洋経済新報社刊〕という本で詳しく述べています)8.9%という数字はもう少し悪化する可能性もありますが、仮に近い将来にこの数字が好転していくようですと、アメリカ社会には一気に活気が戻ってくる、そんなシナリオもあるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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