コロナの時代を映す日本人作家のディストピア小説
Our Dystopia of Loss
多くを語らない小川のスタイルはカフカや安部公房に近い WESTERSOE/ISTOCK
<今年の英ブッカー賞候補6作品に選ばれた小川洋子の『密やかな結晶』は、今の時代を予見するかのように日常が少しずつ壊れていく世界を描く>
また一つ消えた――。サンフランシスコに発令された外出禁止令の詳細を読んで、そんな思いに駆られた。
最初は、運動のためや必需品の買い物で外出が許されるなら、そこまで厳しくない措置に思えた。しかし外に出るたびに、いちいち警官などに呼び止められずに済む自由を失ったのは大きなことだと思い直した。
そんなふうに考えたのは、小川洋子の小説『密やかな結晶』をちょうど読み終えたところだったからだ。
日本人作家の小川が書いた本作(日本での出版は1994年だが、英訳は昨年出たばかり)を読まなければ、新型コロナウイルスの感染拡大でさまざまな物や人が日常から消え去っていることは筆者にとって、もっと信じ難いことに思えたかもしれない。しかし今となっては、どこか既視感のある光景だ。
作品の舞台は名前のない島。その島では、物が一つずつ消えていく。リボン、鈴、エメラルド、スタンプ、香水......初めのうちは、なくなってもやり過ごせそうな物が消えていった。
やがて鳥や花が消えた。大きな悲しみを伴うものだ。ほかにも、例えばカレンダーのように暮らしに欠かせない物が消えた。
物語の語り手である小説家も、「小説」の消失を経験する。体の部位が消え始めるという過酷な展開も待ち受ける。どうして消えるのか、人々が消えた物のことをなぜ忘れるのか。それらの点は明らかにされない。消えた物を覚えている人間を取り締まる「秘密警察」も、ちゃんと存在する。
多くのディストピア小説と同じく、『密やかな結晶』にも「オーウェル的」という形容詞が添えられることが多い。しかし多くを語らない小川のスタイルは、むしろカフカや安部公房に近い。
消えて戻ってこない物
中国の武漢やイタリアのミラノなど新型コロナ禍の中心地の状況は、映画『コンテイジョン』のような疫病の悪夢を描いた作品に近いのかもしれない。だが今の時点で、筆者の住む首都ワシントンでは『密やかな結晶』のほうがしっくりくる。
現実の世界では、些細な物から消えている。筆者の地元のカフェでは、まず砂糖やミルクを置く棚が消え、次にテーブルの数が減り、やがて店が閉じた。その後数週間のうちに、旅行もパーティーも入社面接もなくなった。
知人との握手、友人とのハグ、果ては人と会うことそのものもなくなった。少し前まで、友人と家で会うことまでは問題なかったはずが、今は状況がまるで違う。小川の小説にあるように、消えてしまった物の中で二度と戻ってこない物もあるのではないかと心配になるのも確かだ。