- HOME
- コラム
- From the Newsroom
- 中国経済「崩壊論」の虚と実と
コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
中国経済「崩壊論」の虚と実と
北京市北部の新興住宅街でエステティックサロン兼美容院を経営する高春梅(25)は、1989年に東北部の吉林省長春市にある農村で生まれた。1人っ子政策が始まった後の生まれだが、父が罰金を払ったため2歳年上の姉と4歳年下の弟がいる。実家はトウモロコシとコメを生産し、ブタも育てている。耕地面積が狭いため出稼ぎに行く家庭もあるが、村全体で平均して7~10万元という収入は中国の農村の中では豊かなほうだ。
中学を卒業した後、実家で農業の手伝いをしていた高が2日がかりで遠く離れた南の福建省を訪れたのは、親戚のつてを頼って「兵士募集の宣伝を見て、かっこいいと憧れた」軍隊に入るためだった。ただ装備の現代化を進めるためリストラを進める軍に中学を卒業したばかりの女子が入る余地はなく、彼女は結局採用されなかった。
落ち込んで故郷に戻る気がしなかった高は、北京にいた叔父の元を訪れ仕事を探し始める。最初に紹介されたウエイトレスの仕事は将来性がないと、次に紹介された花屋の仕事は「男の子みたいな自分の性格に合わない」と断り、最後に「手に職をつけたい」と選んだのが美容師の仕事だった。
姪っ子から相談を受けた叔父は、以前すんでいた胡同(北京の古い横町)の隣家で仲のよかった人が理髪店をやっていたことを思い出す。胡同は取り壊しにあい、元隣人とも連絡を取っていなかったが、以前、市場で偶然にあって北京の西部にある高級団地で美容院を開いていることは知っていた。しかし具体的な場所は聞いていなかったので、叔父は仕事が終わった後、かなり大きな団地を1棟1棟探してようやく元隣人の美容院を見つけ、高はそこで働くことになった。05年の初冬のことだ。
......一見、行き当たりばったりの人生だ。ただ、ここから彼女の快進撃が始まる。生来の負けん気に火が付き、高は毎日身を粉にして働く。マッサージに加えてエステの技術も習得し、最初はたった120元(1920円)しかなかった月給が2カ月目には500元(8000円)、3カ月目には800元(1万2800円)とみるみる増え、最後は多い時で月8000元(12万8000円)稼げるようになった。
実家に仕送りしながら貯めたお金で、3階建ての自分の店を開いたのが昨年のこと。エステティックサロンと美容院で計7人の従業員を雇い、年間で50~60万元(800~960万円)を売り上げる。90年代生まれで自分たちに比べて我慢のない若い従業員たちに気を使いつつ、年間100万元(1600万円)の売り上げを達成し、さらにいつか2号店を出すのが高の目標だ。
多少行き当たりばったりでも、やる気と負けん気さえあれば成功できたのが、78年に改革開放が始まってからの中国だった。25歳でエステティックサロン兼美容院を経営する高の人生は、ある意味中国人と中国経済のこの30年間の歩みを象徴している。
「崩壊論」がくすぶり続ける中国経済はなぜ、いつまでたっても崩壊しないのか。不動産バブルで手にしたあぶく銭や高官とのコネを基に莫大な富を築いた富裕層――メディアの報道ではそんな中国経済のネガティブなイメージばかりが先行する。中国の「ダークサイド」のほうが報じやすいという側面は実際、メディアの現場にある。ポジティブに評価した事象の結果が正反対になるとメディアは厳しく批判される。だが、その逆はなぜか誰も気にしない。記者や編集者、ディレクターにとって中国の「ダークサイド」を伝えることは、実はかなり手堅い賭けである。もちろん読者・視聴者ニーズも背景にはある。
中国経済の成長は、紹介した高春梅ら一般の中国人の「明日は今日よりいい日にする」という期待と希望に支えられてきた部分が大きかったはずだ。あぶく銭やコネに狂奔する人々はごく一部で、中国人の大半は彼らのように日々をつつましく、まじめに生きている。
先日、中国に出張した時、上海と約200キロ離れた紹興市を結ぶ高速鉄道に初めて乗った。中国の高速鉄道といえば11年に温州で起きた衝突事故のせいで未だに「危険」という印象がぬぐえない。加えて中国人の乗客たちは所構わず携帯電話でしゃべりまくる――。中国のネガティブイメージを象徴するような場面だが、乗客たちの電話の会話をよく聞けば、仕事の話がほとんど。見方を変えれば、それほど中国でのビジネスは猛スピードで活発に動いているということになる。高速鉄道そのものも、日本の特急や新幹線とサービスや安全性の点で大きな違いは感じなかった。一昔前、中国の鉄道といえば乗客が食べたヒマワリの種をまき散らすことで悪名高かったが、少なくとも周りの乗客にはそんな人はいなかった。
もちろんいい話ばかりではない。高春梅の給料がうなぎ上りに増えたのは、本人の頑張りもあるが、それ以上に中国経済全体が北京オリンピックを頂点にした高成長ムードに包まれていたことが大きいだろう。その熱気が消え、低成長時代が目前に迫った今、中国人自身がどう自分たちを「構造転換」していくのか。かつて日本と日本人が30年近く前に経験したより、その道のりははるかに厳しい。何せ人口は日本の10倍以上なのだから。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)、田中奈美(ジャーナリスト)
*Newsweek日本版9月23日号のカバー特集は「等身大の中国経済」。データには必ずしも現れないリアルな中国人の経済生活を追いました。
この筆者のコラム
COVID-19を正しく恐れるために 2020.06.24
【探しています】山本太郎の出発点「メロリンQ」で「総理を目指す」写真 2019.11.02
戦前は「朝鮮人好き」だった日本が「嫌韓」になった理由 2019.10.09
ニューズウィーク日本版は、編集記者・編集者を募集します 2019.06.20
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか 2019.05.31
【最新号】望月優大さん長編ルポ――「日本に生きる『移民』のリアル」 2018.12.06
売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難 2014.12.02