- HOME
- コラム
- From the Newsroom
- 共産党大会取材と習近平の意外な行動
コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
共産党大会取材と習近平の意外な行動
「記者証ないの? 入れないよ!」
......こっちはその記者証を受け取りに来ているのだ。持っているはずがない。
中国共産党第18回大会の最終日。開門時間の午前8時半に記者証交付先である北京市内のメディアセンターを訪れた筆者は、入口で武装警官におもむろに立ち入りを拒否された。「私はよく知らない。中に電話して」。おそらくは20代で、精悍だがどこかあどけなさを残した武装警官は、顔を前方に固定したまま目線だけを動かして質問に答える。言われた通りメディアセンターの番号にかけるが、なぜか「空号(現在使われていない番号)」とアナウンスされる。
「北門に回って。あっちはもっと人がいるから」。言われるままに東門から北門に向かうと、そこには3~4人の武装警官と公安部所属の警察官が1人。やはり「中に電話せよ」と言われるので、「記者のみなさんを歓迎します!」と書かれた案内板にある電話番号にかけるが、なぜかどれも「空号」だ。
大会最終日に記者証を取りに来る方も悪いのだが、日本で仕事が山積していて最終日とその翌日開かれる一中全会(党中央委員会第一回全体会議)しか取材日程が合わないのだから仕方ない。02年から03年にかけて1年半ほど留学で北京に住んでいたから、中国政府の流儀はある程度分かっているつもりだった。それでも当局のガードがここまで堅く、先が見通せないのは想定外だ。この時点で30分近く経ち、党大会の閉幕式取材が始まる午前10時半が迫る。
途方に暮れていると、紺色の制服を着た公安部の警察官がおもむろに自分の携帯電話を取り出し、案内板にある6つの電話番号にかけ始めた。「確かにつながらないな」。するとその様子を見ていた武装警官の先輩格らしき人物が、「俺が中に行って聞いてきてやる」とメディアセンターに向かい、約10分後に「この番号にかけろ」と新しい電話番号を渡してくれた。先の公安部警察官がまた自分の電話を使ってかけてくれ、ようやく連絡がついたメディアセンターの女性担当者が門の前まで迎えに来てくれた時には、彼らの親切に思わず感謝したくなった――。
もちろん、まったくの錯覚だ。最終日とはいえ、申請を受理した記者証を交付するのは中国政府の責務だし、党大会がまだ続いているさなかにメディアセンターの電話番号を停止するのは不親切でしかない(おそらくは経費削減のためだろう)。ただ1人1人の中国人が、時におせっかいなほど親切な人たちということもまた真実で、それは制服を着た警察官であっても、基本的には同じだ。閉幕式取材の開始まであと1時間ちょっと。これで何とか取材できそうだ......と思ったが、甘かった。
記者証をひったくるように受け取ってメディアセンターを飛び出し、目の前の大通りに出て唖然とした。人民大会堂方面に向かうタクシーがまったくつかまらないのだ。タクシーは次々と目の前を通り過ぎるのだが、空車はゼロ。住んでいた9年前と比べて、車が加速度的に増えているのは知っていた。ただ出勤時間帯にタクシーに乗る人がこんなに増えているとは思っていなかった。切羽詰まった状態で乗るべきタクシーが見つからない体験も初めてだ。あわてて路線バスの車掌に人民大会堂に止まるかと聞くが、首を横に振るばかり。
やむなく大通りからメディアセンター近辺に戻り、何とか停車中のタクシーを探して乗り込む。「人民大会堂まで」と行き先を告げると、今度は訛りのかなりひどいタクシー運転手から予想もしない答えを聞かされた。「無理だ。(人民大会堂周辺の)東単から西単の間は停車するな、と政府に言われている」
運転手が見せてくれた文書には、確かに党大会期間中は人民大会堂周辺でタクシーの営業はできない、というような通知が書かれていた。党大会中は警備のため、タクシーの後部座席の窓の開閉を禁止している、というニュースは流れていた。ただ、大会会場周辺でタクシーの乗り降りまでできないとは想像していなかった。
ならば、と車を降りて目の前の地下鉄軍事博物館駅に行き、さらに愕然とする。なぜか駅の出入り口が完全に封鎖されているのだ。歩くとしても、軍事博物館駅から人民大会堂までは6キロ近くある。この時点で午前9時40分。走っても間に合うかどうか微妙な距離だ。しかも履いているのは運動靴でなく革靴。ならばショッピング街で知られる西単までタクシーで行って、残り2キロは走るしかない――。
半ば取材を諦めかけながら、ようやく見つけた1台に「西単まで」と告げる。おそらく「下崗(リストラ)」されてタクシー運転手をしているのだろう、一見さえない男性運転手だ。46歳、大学3年生の子供がいるという。
だが、結果的にはこの運転手がピンチを救ってくれることになる。日本人記者だと身分を明かすと、彼は「おれの家は人民大会堂のそばにある。近くまで連れて行ってやるよ」と実に頼もしげに請け合い、実際その言葉通り、裏道を使って規制をかいくぐりながら、人民大会堂のほぼ真裏で車を止めてくれた。厳重すぎるほど厳重な人民大会堂南入口の警備を通り過ぎて、メディア用の待機部屋に飛び込んだとき、時計の針は10時15分を指していた。
一見、警備は厳しすぎるほど厳しいが、末端に行くほど規律がちぐはぐで、探せば抜け穴もある――。中国らしい光景だ。この秋の反日デモでは中国人の「建前」や「メンツ」が暴走する様を否応なく見せつけられたが、その一方で、実利主義的で融通無碍で、意外と人情に厚いのもまた、中国人である(文化大革命期などの例外もあるが)。「日本人は釣魚島(尖閣諸島)についてどう考えてる? 中国人のほとんどは『無所謂(どうでもいい)』だ!」と、先の窮地を救ってくれた運転手は何とも親切に祖国の「本音」を教えてくれた。
ちなみに、こんなに苦労して集合時間を守ったにも関わらず、10時半になっても取材場所に案内されることはなかった。待ちに待たされて、ようやく閉幕式が行われている「万人大礼堂」の2階に到着したのはそれから1時間以上経った後だった。
中央のひな壇に並んだ胡錦濤や、彼からトップの座を引き継ぐ習近平は取材席からあまりに遠く、念のためにと持って行った双眼鏡が大活躍したのだが、閉幕式が終わった直後、筆者はその双眼鏡で中国新リーダーの予想外の行動を目にすることになった。詳しくは発売中のNewsweek日本版11月28日号カバー特集『中国の針路』をお読みいただきたいが、習のこの行動は、中国政治の次の10年のあり様を示唆しているはずだ。
「実利主義的で融通無碍で、意外と人情に厚い」という中国人の特性は、習自身にもかなり当てはまる部分があると思う。もちろん、中国13億人のトップに上り詰めた彼が単なる「お人好し」であるはずもない。
期待を集めて10年前にスタートした胡錦濤と温家宝の政権は、改革らしきものをほとんど何も達成しないまま事実上、幕を閉じた。強面だと予想されている習の政権に対して、世界は警戒こそすれ期待感をほとんど抱いていない。ただ期待されていなかった故、経済を安定運営し外国と戦争しなかっただけで、政権が終わるころには「意外とよかった」と思わぬ高い評価を受ける......そんな気がしないでもない。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
人民大会堂内にずらりと並んだ要人の車。ほとんどが高級外車だ (c)Nagaoka Yoshihiro
この筆者のコラム
COVID-19を正しく恐れるために 2020.06.24
【探しています】山本太郎の出発点「メロリンQ」で「総理を目指す」写真 2019.11.02
戦前は「朝鮮人好き」だった日本が「嫌韓」になった理由 2019.10.09
ニューズウィーク日本版は、編集記者・編集者を募集します 2019.06.20
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか 2019.05.31
【最新号】望月優大さん長編ルポ――「日本に生きる『移民』のリアル」 2018.12.06
売国奴と罵られる「激辛トウガラシ」の苦難 2014.12.02