スー・チー拘束でも国際社会がミャンマー政変を「クーデター」と認めたくない理由
その時、対応を迫られるのは先進国だ。1988年のクーデターの際、日本はミャンマー向け援助をわずかながらも続けた。「相手国の内政に立ち入らない」のが日本政府の立場だからだ。
しかし、ほとんどの欧米諸国はミャンマーに経済制裁を実施した。アメリカなどでは、クーデターで権力を握った政権への援助を禁じる法律があるからだ。
もっとも、こうした原理・原則はケース・バイ・ケースでもある。実際、エジプトで2013年にイスラーム勢力が握る政府を軍が打倒し、実質的な軍事政権が発足した際、アメリカはこれを「クーデター」と認定せず、援助を続けた。つまり、相手次第ではうやむやになるのであり、「クーデター」の認定そのものが政治的ともいえる。
それでは、今回の場合、ミャンマーのクーデターは国際的に「クーデター」と扱われ、何らかの制裁が行われるのだろうか。
中国の影
1988年の場合と比べて、今回アメリカなどがミャンマーのクーデターを「クーデター」と認定するハードルは高い。そこには中国の存在があるからだ。
欧米諸国が経済制裁を実施していた1980年代後半から2000年代後半までの20年間、いわば「空き家」に近かったミャンマーに急速に進出したのは、中国、インド、タイなどの新興国だった。なかでも中国にとってミャンマーは天然ガスやルビーの生産国であるだけでなく、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるため、積極的な進出を進めた。
2010年の民主化と前後して制裁は解除され、ミャンマーは再び大手を振って先進国とも取引できるようになった。それ以来、ミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として先進国からの投資が相次ぐようになった。
それでも、中国の存在感は圧倒的に大きい。国際通貨基金(IMF)の統計によると、2018年段階で中国の対ミャンマー貿易額は約118億ドルにのぼり、その金額は世界1位で、2位のタイ(約57億ドル)以下を大きく引き離している。
つまり、ここで欧米諸国が制裁を行なえば、ミャンマーをより中国側へ押しやることにもなりかねない。それはミャンマーを「一帯一路」により深く食い込ませることになるため、「中国包囲網」の形成を目指すバイデン政権にとって頭の痛いところだ。
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