コラム

香港の若者が一歩も退かない本当の理由

2019年10月28日(月)16時00分

好景気のワナ

こうした若者の窮状に拍車をかけているのが、行きすぎた景気の良さだ。

1997年にイギリスから中国に返還された後、香港には中国本土から投資や観光客が流入し、さらに本土との取り引きが活発になったことで、それまで以上に好景気に沸いた。

しかし、好景気は必然的に物価上昇をもたらす。

今の世界を見渡すと、伸びしろのある開発途上国ほどインフレが進みやすく、経済が成熟し、爆発的な成長が見込めない先進国ほど物価上昇のペースは鈍い。

ところが、香港はこの一般的なパターンが当てはまらない。

平均所得や生活水準などで香港は先進国並みといってよい。ところが、世界銀行の統計によると、2018年の香港のインフレ率は2.4%で、日本(0.9%)や韓国(1.4%)だけでなく、中国本土(2.1%)をも上回った。これはもはや開発途上国の水準に近い。

インフレは実質所得を抑える効果があるが、若者は年長者より所得水準が低く、もともと物価が高いうえにインフレが進む香港では、若者の購買力が極端に低くなっても不思議ではない。

そのうえ、グローバルな成功者がひしめく香港は、世界屈指の格差社会でもある。香港当局の統計によると、返還前の1986年に約0.45だったジニ係数は、2016年には0.55にまで迫った。中国本土やアメリカをもしのぐ水準だ。

こうして、表面的には景気のいい香港は、それについていけない人々、とりわけ実質所得を低く抑えられた若者にとって生きにくい場所になっているのだ。

中国は希望を示せ

こうした状況は、返還後の経済成長で得たものも多い40歳代以上の年長者にとっては、差し引きゼロと割り切ることもできる。しかし、返還によってこれまでいい思いをしていない若い世代には、不満や将来への不安だけが残りやすい。

こうしてマグマのように溜まった不満が犯罪者引き渡し条例の審議をきっかけに爆発したのが、今回のデモとみてよい。そこには、デモを静観する年長者たちへの反発もあるといえるだろう。

だとすると、抗議活動の引き金になった条例案を香港当局が撤回した後もデモが収束しないことは不思議ではない。また、力ずくで鎮圧されたとしても、不満が地下水のようにとどまる公算は高い。

言い換えると、香港の若者が将来の展望を描けるようにならなければ、抗議活動の芽がなくなることはない。中国政府に試されているのは、軍事介入の有無よりむしろ、若者に希望をもたせることができるかどうかだといえるだろう。

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プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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