「楽園」モルディブの騒乱―中国、インド、サウジの「インド洋三国志」と小国の「産みの苦しみ」
ヤミーン大統領が非常事態を宣言した翌日の2月6日、警戒に立つ警官 REUTERS
インド洋に浮かぶモルディブは世界有数のリゾート地として知られ、日本からも年間約4万人が観光で訪れます。この国で2月5日、政府が非常事態を宣言。最高裁長官などが逮捕・拘束され、野党支持者やメディアへの弾圧が激しさを増しています。
この騒乱の背景としては既に「中国よりの政府とインドよりの野党の対立」という構図が紹介されています。しかし、総面積が東京23区の約半分(298平方キロメートル)で人口わずか40万人に過ぎないこの小国が直面する状況は、より複雑なものです。モルディブは中国、インド、サウジの三大国が勢力を争う「三国時代」のさなかにあるのです。
民主化から強権化へ
まずモルディブそのものに目を向けると、今回の騒乱は基本的には「民主化の産みの苦しみ」の一端といえます。非常事態を宣言し、強権化するアブドッラ・ヤーミン大統領は、かつて政府を批判する勢力の頭目として台頭した経歴の持ち主です。
モルディブでは1978年から2008年まで30年間に渡って、マウムーン・ガユーム大統領(当時)が権力を維持。しかし、独裁への批判を受け、2008年の大統領選挙では野党候補のモハメド・ナシード氏がガユーム氏を破り、初めて民主的に選ばれた大統領が誕生したのです。
ところが、大統領選挙で勝利したものの、ナシード氏率いる民主党(MDP)は議会で少数派にとどまりました。その結果、野党が多数を占める議会と大統領の対立が深刻化。2010年12月には、議会の承認を経ないままナシード大統領が大臣を任命したことに最高裁が違憲判決を下し、これをきっかけに抗議デモが各地に広がりました。
強権支配の連鎖
このなかで台頭したのが、ガユーム元大統領率いる進歩党(PPM)に加わったヤーミン氏でした。ヤーミン氏はガユーム元大統領の異母兄弟で、ガユーム政権でも国営企業の要職などを歴任。政府による司法への介入に批判が広がり、警察や軍隊までがこれに呼応するなか、2012年2月にナシード氏が大統領を辞任すると、ヤーミン氏は2013年11月の大統領選挙にPPM代表として立候補して当選したのです。
ところが、そのヤーミン氏が非常事態を宣言したきっかけも、ナシード政権と同様の司法介入にありました。
就任後、ヤーミン政権は野党関係者などの取り締まりを強化。ナシード氏は英国に亡命せざるを得なくなったのです。この背景のもと、最高裁は2月1日、獄中の野党政治家9人の釈放と、与党離党後に罷免された議員12人の復職を命令。これが実現すると、議会で与野党が逆転し、ナシード政権期のように「ねじれ」が発生するだけでなく、国外で政府批判を展開してきたナシード氏の帰国にも道筋がつきかねません。
「核兵器を使えばガザ戦争はすぐ終わる」は正しいか? 大戦末期の日本とガザが違う4つの理由 2024.08.15
パリ五輪と米大統領選の影で「ウ中接近」が進む理由 2024.07.30
フランス発ユーロ危機はあるか──右翼と左翼の間で沈没する「エリート大統領」マクロン 2024.07.10