保坂修司
イスラーム世界の現在形

アラブ世界に黒人はいるか、アラブ人は「何色」か、イスラーム教徒は差別しないのか

2020年07月22日(水)18時05分

Vectorios2016-iStock.

<Black Lives Matter運動のニュースはアラブ世界でも大きく扱われている。かつてマルコムXはイスラーム教は平等を唱える宗教だと感動した。しかしイスラームの神話では、呪いの結果、黒人から奴隷が生まれるとしていたし、黒人は動物に近く、生来の奴隷だと見る知識人もいた>

米国に端を発した「黒人の命は大切(Black Lives Matter)」運動は世界各国に波及している。アラブ世界においてもこの運動に関するニュースは大きく扱われており、関心の高さがうかがえる。

民族的、あるいは形質人類学的にアラブ人がどう定義されるのか、わたし自身アラブのことを専門的に研究しているにもかかわらず、実はよくわかっていない。アラブ人の多くはコーカソイドだと思うのだが、いわゆる肌の色でいうと、白人ではないだろう。

アラブ人自身はしばしば自分たちは「茶色」だと主張していた。これはおそらく多くの日本人にとっても何となく納得できるんではないだろうか。あるいは、白人、黒人、黄色人種以外のものが存在すること自体、まったく想定していない人もいるかもしれない。

とはいいながら、実際にはアラブ人は形質的には千差万別で、白人のように肌の白い人もいれば、黒人のように黒い人もいる。サウジアラビアには、明らかにモンゴロイドの特徴をもっている人さえ存在する。サウジアラビアの「アジア系」アラブ人の多くは新疆ウイグル自治区を含む中国や旧ソ連の中央アジア諸国からの移民である。

これだけばらつきがあると、唯一の共通点はアラビア語(正しくはその方言)を母語とする、というぐらいかもしれない。

畑違いなので、単なる印象論でしかないが、おそらく「原アラブ人」のようなものは存在したのであろう。しかし、長い歴史のなかで、さまざまな民族と混血が進み、現在のアラブ人が形成され、今やアラビア語をしゃべるというだけが全体を包括する特徴になってしまったというところだろうか(もちろん、移民などで中東から移住した「アラブ人」のなかにはアラビア語をしゃべれない人も存在するはずだ)。

仮にアラビア語をしゃべるのがアラブ人だとすると、彼らのあいだでは、肌の色とは無関係に同じアラブ人だという認識が共有されるのであろうか(ちなみに同じことはイラン人にもいえる。イランには少数だが、黒人のイラン人もいるからだ)。

マルコムXはマッカ巡礼でアッラーのまえでの平等を体験した

また、宗教と肌の色の関係はどうだろうか。米国には、黒人による「イスラーム」運動である「ネーション・オブ・イスラーム(NoI)」という組織がある。NoIは、奴隷になるまえに黒人たちがイスラームを信仰していたという信念のもと、白人への嫌悪を露骨に示すとともに、白人に対する黒人の優越を説いた。

しかし、その代表的なイデオローグであったマルコムXは、マッカ(メッカ)巡礼にいった際、ムスリム(イスラーム教徒)たちが、肌の色と関係なく、自分を受け入れてくれ、また巡礼にきた、さまざまな肌の色をしたムスリムたちが、肌の色と無関係に同じ儀式に参加し、同じ価値観を共有するのを目の当たりにして、ムスリムはみなアッラーのまえでは平等だということに感動したとされる。

【関連記事】ディズニー恐るべし、『アラジンと魔法のランプ』は本当は中東じゃないのに

プロフィール
プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
話題のニュースを毎朝お届けするメールマガジン、ご登録はこちらから。
本誌紹介
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗

本誌 最新号

特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

2025年3月11日号  3/ 4発売

MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中

人気ランキング
  • 1
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 2
    ラオスで熱気球が「着陸に失敗」して木に衝突...絶望的な瞬間、乗客が撮影していた映像が話題
  • 3
    うなり声をあげ、牙をむいて威嚇する犬...その「相手」を知ってネット爆笑
  • 4
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 5
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 6
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 7
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 8
    中国経済に大きな打撃...1-2月の輸出が大幅に減速 …
  • 9
    鳥類の肺に高濃度のマイクロプラスチック検出...ヒト…
  • 10
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 5
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 6
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 7
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 10
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
もっと見る
ABJ

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。