新疆の綿花畑では本当に「強制労働」が行われているのか?
なお写真1に見るように兵団の多くは北疆(地図の上半分)にあるが、南疆(下半分)にもある程度存在する。
(筆者撮影)
新疆生産建設兵団は1954年にスタートし、当初は人民解放軍の兵士とその家族20万人以上が新疆に送り込まれ、その9割以上が漢族だった(加々美、2008)。表に見るように、1955年時点で新疆の人口487万人のうち漢族はわずか30万人(6%)で、その6割以上を兵団が占めていたと推定される。つまり、兵団は新疆の中国化の尖兵として送り込まれたのだ。
新疆では中国の国民党統治時代の1944年から45年にウイグル、カザフ、ウズベクなどトルコ系民族による革命が起き、「東トルキスタン人民共和国」の樹立が宣言されるなど分離独立志向があった。1946年に国民党政府と革命勢力が和解して独立は取り消されたものの、1949年に中国の支配者が共産党に代わってからも新疆の独立志向への警戒は続いた。
中国はソ連が新疆での反乱を焚きつけることを恐れていた。実際、1958年から60年代にかけて新疆でトルコ系住民が反乱を起こして、中国が軍を差し向けて鎮圧し、大勢がソ連に逃れる事件がたびたび起きた。
そこで、新疆に生産建設兵団を送り込むことで中国化し、分離独立やソ連への併合を許さない態勢を作ることが目指されたのである。兵団には上海など都市からも青年が下放されてくるようになり、さらに甘粛省など内陸の貧しい地域から新疆への移民も流入した。こうして新疆における漢族の人口比率が高まり、1980年以降は40%前後となっている(表参照)。
2019年現在、新疆生産建設兵団の総人口は325万人で、新疆全体の13%弱を占めている。また、生産額では新疆全体の2割を占め、1人あたりGDPで見ると新疆の2019年の平均が7812ドルであったのに対して兵団では1万2258ドルと相対的に豊かである。ただ、兵団には定年後の老人たちが52万人もいて(2010年時点)、彼らの生活を支える負担も大きく、中央政府からの補助金なしではやっていけないという(Bao、2018)。
(筆者作成)
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